Almost Famous 邦題:あの頃ペニー・レインと

Almost Famous
邦題:あの頃ペニー・レインと

ミュージカル ブロードウェイ
Almost Famous
邦題:あの頃ペニー・レインと
Almost Famous 邦題:あの頃ペニー・レインと

2000年にアカデミーを受賞した映画「『あの頃ペニー・レインと』を記憶されている方も多いだろう。この作品にはツエッペリンやスティービー・ワンダーの曲がそこここに使われていて、当時多くの若者が魅了された。きわだったストーリーはなく、監督したキャメロン・クロウが15歳だった頃の経験を散文的に綴った半自叙伝だった。あれから20年。今彼は、随筆、小説、プロデューサー、演出、俳優、作詞、脚本など多くの分野で活躍し、成功を納めている。そのキャメロン・クロウが同作品の脚本、作詞を手掛けたのが今回の舞台だ。当然多くの映画ファンの期待が集まる中、この10月にオープンした。

あらすじ&コメント

ウィリアム・ミラーは書くことが大好きな15歳のオタク少年。母親は教師で、息子である彼を法律家にするつもりで教育に力を入れていた。おかげで彼は、学年を2年も飛び級していていた。その所為もあり学校では他の生徒からオモシロ半分に苛められている。彼の姉は、厳しい母親と衝突していなくなってしまったのだが、その家出の際に残していったレコードが、ウィリアムをロックの虜にしたのだった。そして彼は音楽評論家になることを夢見る様になっていた。

時は1973年、ロックバンド全盛期だ。彼はロック界の関係者と電話でやり取りし、尊敬するロック・ジャーナリストのレスター・バングスの助けを借りることに成功。音楽雑誌の記事を書く。その評価は良く、続いて来たのはロックバンド、スティルウォーターのUSツアーに同行取材し、記事を執筆するという大きな仕事だった。電話で話し記事も輸送なので、誰も彼が15歳の未成年だとは知らず、バンドのメンバーも若く見えるジャーナリストかくらいに思っている。

ちなみに邦題の作品名にある「ペニー・レイン」とは、スティルウォーターのグルーピーの1人の名である。グルーピーとはミュージシャンのツアーに付いて回り、時には一緒にツアーバスや宿を共にする熱狂的なファン達のこと。そのペニー・レインはバンド・リーダーのラッセルに本気で恋している。映画ではケイト・ハドソンがペニーレインを演じていた。一方今回の舞台では、背が高く美しいソレア・ファイファーが演じている。彼女はブロードウェイが初めてとなる。

また原題の『Almost Famous(有名になる一歩手前)』は、主人公がジャーナリストとして有名なる前の話だということも含まれているだろう。しかし主に、スティルウォーターの運命を物語っている。 全てを共にする長いツアーを経てメンバーの間には小さなくい違いが生まれ、それが徐々に大きな亀裂に成長して、最後には解散せざるを得なくなってしまう。本格的に有名になる前にだ。

映画の成功には、長期ツアーの日々の断片をすくい取って描く、散文詩のような斬新さにあった。全体を貫くストーリーはなく、自由を謳歌する若者たちの、前途洋々とすれども時として揺れ動く、心情を捉えていっていた。だがしかし、カメラによるクロースアップができない舞台に映画をそのままを持ってくることはできない。そのためか、焦点を絞り切れずに薄味になっていた。また映画では果てしなく続く大平原を貫く一本道をひた走るツアーバスにロックの名曲が乗っているだけでロマンを感じたが、舞台ではそうはいかない。その上ジュークボックス・スタイルのミュージカルにはしたくないというキャメロンの思いがあり、ツエッペリンやスティービー・ワンダーやエルトン・ジョンなどの名曲が、トニー賞2つの受賞作曲家トム・キットによる編曲が加えられて現代風になっていた。それ自体は難しい技だと思うのでトム・キットは流石だが、名曲を超えられるはずもなく、消化不良になってしまった。ヒット曲のさび部分が酷くアレンジされていたら失望感を抱く人は、少なくあるまい。

60年代から70年前半にかけて、それまでの大人の生き方に反抗した若者の思いが様々なシーンで開花し、世界的なムーブメントとなった。しかし70年代中後半になると、その動きが少しづつコマーシャリズムに組み込まれていく。前述べたロック・ジャーナリスト、レスター・バングスがウィリアムにその批判を面白可笑しく、得々と伝えるのだが、そこにはキャメロンの当時の思いも含まれているに違いない。また自由な精神でロックを歌う純粋さとは裏腹に、バンドのTシャツに「誰の顔を一番大きく載せるべきか」というメンバーのいがみあいを描いたシーンにも、エゴを捨て切れない人間が描かれていた。しかし全体的に彼らのセリフがあまりに薄っぺらい。映画ではバンドメンバー等がマリワナを吸い過ぎてボッーとして馬鹿なことを言いあう面白いシーンがあった。舞台ではここが、薬を使っていないのに更に間抜けなセリフ廻しが繰り返され、単にIQの低い連中に見えてくる。重要なテーマであるバンドメンバーが中心の作品にしては情けない。そして母一人子一人の息子として、スターを目指すバンドの友人として、文章を武器としたジャーナリストとして、自分の立ち位置の間で揺れるウィリアムの気持ちも、セリフとして語られることはあっても、歌や行動では描き切れていない。

そんな中でも一番強くしっかりと伝わってきたのは、ベテラン女優アニカ・ラーソンが演ずるウィリアムの母親の気持ちだ。どこの馬の骨ともわからないロックバンドと一緒に生活し、高校の卒業式にも戻ってこない15歳の一人息子の行方に焦燥としている母親の姿が、コメディータッチで丁寧に描かれている。

これまでも舞台化された映画作品を多く見てきたが、ブロードウェイで成功させるのはそう簡単ではない。ヒットした映画がならばプロデューサーも付きやすいし集客もある程度見込める。しかし映画とは全く違い、ある程度完成されたミュージカルという表現形式を理解して駆使するのは難しい。映画表現に中途半端に引っ張られず作品が持つ本質を生かす難しさなど、色々と考えさせられた作品だった。11/02/2022

Bernard B. Jacobs Theatre
242 West 45th Street, New York, NY 10036
公演時間:2時間30分(休憩一回)
公演期間:2022年11月6日〜

舞台セット:7
作詞作曲:7
振り付け:7
衣装:7
照明:8
総合:7
Photo by Matt Murphy
Photo by Matt Murphy

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