カンボジアン・ロック・バンド
あらすじ&コメント
この作品は、前述した強制収容所S-21の元所長だったドゥイチの裁判が行われた2009年のカンボジアの首都プノンペンが、舞台となっている。裁判の推進者のひとりとしてNPOで活動する米国系カンボジア人二世の女性が主役のこの物語は、彼女と父親の過去が中心となって描かれるフィクションである。
興奮した案内役が薄気味の悪い声で「東南アジアのデトロイト」、と1975年のカンボジアの首都プノンペンを紹介して舞台は始まる。そこでは当時流行っていたのであろうバンドが独特のロックに興じている。カンボジア風なのだろうか、エキゾチックで特殊な抑揚のロック演奏が終わると、場面は2008年に変わる。そこには裁判のために奔走するカンボジア系アメリカ人二世で、26歳のニアリーがいる。元強制労働所の所長ドゥイチに正当な裁きを受けさせるのが彼女とその仲間たちの目的だった。そこへ彼女の父チャムがアメリカからやってくる。チャムにとっては、30年ぶりの帰郷だ。彼は街の様子に思い出を重ね、嬉々とする。だがその一方、機会を見つけてはニアリーに裁判推進活動の停止を促す。チャムにとってプノンペンは、楽しい思い出ばかりではなかった。決して呼び起こしたくない記憶もあったのだ。
ポル・ポト派による政権奪取の前夜、実業家だったチャムの両親は危機を察知していた。そしてカンボジアから出国するための飛行機の切符を手に入れる。しかしその出発予定日は、チャムが友人たちと作ったロックバンドのレコーディングの日と重なっていた。若かったチャムは、友人たちとの最後の収録を実現させるため、なんとか両親を説得し、出国の予定を数日遅らせる。そしてレコーディングをしている夜半、演奏する彼らに突然、クメール・ルージュによる空港閉鎖の報が届く。その時まさに、彼や彼の両親、兄弟達が海外に逃げのびるチャンスは完全に失われたのだった。
クメール・ルージュは知識階級やアーティストを敵視し、文字が読めるだけでも粛清の対象とした。ロック音楽を資本主義的な頽落と見做し、ミュージシャン達を容赦しなかった。ミュージシャンの9割が粛清されたと読んだことがある。おそらく真実だろう。当然チャムやその家族も・・・。
脚本はサンフランシスコ生まれの中国系アメリカ人ローレン・イー/Lauren Yeeによる。彼女によれば、友人に誘われたデング・フィーバー / Dengue Fever(デング熱)のコンサートがきっかけだったそうだ。アメリカンロックとカンボジア伝統音楽が融合した不思議な世界観に魅了されたと語っている。本作品の音楽担当でもあるデング・フィーバーは、1990年代後半から活動を開始したカンボジア人女性ボーカル/チャウム・ニモルと、5人のアメリカ人男性によるユニットで、当然作品中では彼らのヒット曲が多く演奏される。余談になるが当時ベトナム戦時下の米国軍人向けにラジオで流れていた曲が、カンボジアのミュージシャン達に与えた影響にも触れておきたい。ラジオから流れていたカリフォルニアサウンドとも呼ばれるサーフミュージックに刺激された彼らは、そこから独自のカンボジア・サウンドを作り出していったのだ。そしてそれをアメリカに逆輸入して更に発展させたのが、デング・フィーバーだった。
主人公のアメリカ系カンボジア人ニアリーを演ずるコートニー・リード/Courtney Reedは、チャムのロックバンドで女性ボーカルも演じている。ただコートニー・リードがチャキチャキのミュージカルシンガーだからか、元歌(もとうた)でチャウム・ニモルが唄うカンボジア民謡らしい独特の抑揚は、難しかったようだ。不思議で魅力的なチャウムのロックに親しんでいる人にとっては、少し残念だったかも知れない。
さて元強制労働所の所長ドゥイチは、クメール・ルージュの崩壊後20年間潜伏していたが、1999年に捕縛され2012年に有罪が確定。今は独房で終身刑に服している。
なお舞台装置デザインはTakeshi Kataというカリフォルニア州在住の日本人で、『Derren Brown:Secret』の舞台装置デザイナーでもある。
The Pershing Square Signature Center/Irene Diamond Stage
480 West 42nd Street
上演時間:2時間25分(休憩あり)
公演期間:2020年2月24日〜2020年3月22日
*2度延長をしている。3月8日までだったのが、1度目の延長で1週間伸びて3月15日までとなり、2度目の延長で3月22日までとなったが、途中、コロナ感染を防ぐために千秋楽を待たずに3月12日に他の舞台作品と共に上演を終えた。