Endgame エンドゲーム

Endgame
エンドゲーム

オフ・ブロードウェイ 演劇
Endgame
エンドゲーム
Endgame エンドゲーム

『ゴドーを待ちながら』で知られるノーベル賞作家サミュエル・ベケットによる1957年の不条理劇『エンドゲーム』が、オフ・ブロードウェイで演じられ賞賛された。題目の『エンドゲーム』は、チェス用語で使われる『終盤戦』のことらしい。

あらすじ&コメント

舞台は核シェルターを思わせるような、狭い部屋で繰り広げられる。窓が梯子を登らないと外が見えないような高いところに二つあるだけなので、半地下室と想像できる。その中央で車椅子に座る盲目のハムが、顔にかぶっている髑髏模様の布を取り去って、目覚めるところから劇が始まる。傍らには彼の面倒を看ている足がやや不自由な使用人のクローヴが居る。そして二つのゴミ箱のようなドラム缶が置いてあり、その各々にハムの両親が棲んでいる。

父親のナグはハムに呼ばれ、モグラ叩きのおもちゃの様にオドオドとドラム缶から顔を出してくる。一方母親のネルは、明るい声で「不幸せほど可笑しいものはないわ」と言う。
クローヴがいなければ何もできないハムは、彼に訊く。「何故俺を置いて去らないのか」と。クローヴは答える。「他に行くあてがない」と。 次は「何故俺を殺さないのか」と訊く。クローヴは答える。「食料棚の開け方を知らない」と。二人は共依存関係に陥っている。クローヴはハムの命令に従うことで安心し、ハムはクローヴを支配する実感を糧に生きている。
クローヴは一日に何度も梯子を使って天井近くにある小さい窓から外を見る。しかし窓外に広がるのはいつも灰色の荒地と海だけ。どうやらそこにいる4人は、世界滅亡後にわずかに生き残った人間なのだ。
ハムはクローヴに自分を窓の近くに連れて行けと命令する。クローヴは足を引きずりながら窓の下まで車椅子を押していく。そしてハムは、窓の下で壁を触りながら外の様子をクローヴに聞く。そして元いた場所、つまり部屋の中央に正確に戻すよう、命令する。見えてもいないのに、中程に戻ったハムは、「もう少し右だ。いやもう少し前だ、後ろだ」と言い続ける。この世界の中心に自分がいる事が大層重要なことの様だ。
ある日、ネルがドラム缶の中で死ぬ。ナグは彼のドラム缶の中で泣いている。ハムが管理していた食料は、もはや殆どない。彼が飲んでいた痛み止めも底をついた。クローヴは「もう出ていく」と宣言し、実行に移す。しかし暫くすると静かに部屋に戻ってくる。ハムはその気配でクローヴの帰還を知る。彼らを待つのは意味のない苦痛と、避けることのできない死だけだった。

ハムを演じるのは、古典作品をやらせれば彼の右に出る者はいない、と言われる英国の黒人俳優ジョン・ダグラス・トンプソンだ。サミュエル・ベケットの難しい台詞廻しを見事に表現している。その相方、クローヴを演じるのはビル・アーウィン。彼は長い年月をかけてクラウン(ピエロ※)の芸を極め、20世紀のアメリカ・サーカスに革命をもたらした人物だ。ブロードウェイでは1984年から『ゴドーを待ちながら』をはじめ多くの劇に出演し、トニー賞も受賞している。またオフ・ブロードウェイでは、何度も自らがプロデュースした作品に主演して、無言のクラウンを演じてニューヨーカーを楽しませてきた。本作品では単眼鏡で窓から外を眺めたり、梯子を昇り降りすときのユーモラスな動作が、この不条理劇にコミカルな風味を与えていている。

ニューヨーク・タイムズ紙など多くの劇評家が今回のリバイバルを揃って賛美し、「悲喜劇」とか「大笑い」という言葉が散見された。それを目にした友人が自分も笑おうと観に行ったらしい。ところがこの友人、仕事で滅入った気分の解消が目的だったのに、描かれた暗黒世界に触れていよいよ憂鬱になったと言っていた。この彼の話に笑ってしまったが、アメリカの舞台ではしばしば、日本人からすると「なんでここで?」と思う所で笑いが起こったりする。本作品でもブラック・ユーモアが相当効いていたが、声まで出すようなところはなかったと思う。なのに笑っている観客は確かにいた。この笑いのツボの国民性の違いについてはいずれ考えたいと思う。が、取り敢えず本作品に話を戻すと、不条理劇の理不尽さが名演技のおかげで滑稽に表現されていて、人は人生という苦痛を何故耐えるのか、と言う問いかけも不思議に重くはない。避けられない目前の死を待ちながら、4人とも妙に明るくサラサラとしている。知っているのか知らないのか。見て見ぬふりをしているのか。立ち向かえない悲惨な運命に抗う(あらがう)ことなく、それに比べれば意味のない毎日を過ごしているように見えた。私たちは多かれ少なかれ、皆そうなのかも知れない。(3/16/2023)

ピエロ※・・・日本で親しまれている「ピエロ」の事は、英語圏では「クラウン」と呼ばれている。涙がついているのがピエロというのを読んだこともあるが、英語圏ではそういう違いはなく、ピエロ(Pierrot)という言葉も滅多に使われなく、意味も曖昧である。マイムとクラウンの違いが英語圏では話されることはあり、ビル・アーウィンは、自身の芸はマイムではないと述べている。クラウンは人を笑わすことに従事し、マイムはそこに何かがあるかの様に想像させる芸と考えられる。ちなみに、日本でのピエロは、クラウンの中でも特に、喜劇に出てくる白い服の道化役を指す事が多いようだ。先年亡くなったミュージカルの巨匠スティーヴン・ソンドハイムの戯曲中で歌われる「Send In The Clowns」は日本でも聴かれた方が多いと思う。ほかにはピエロのことを「ジョーカー」と呼んだりもするが、こちらはアメリカンコミックや映画の影響だろう。ちょっと怖いイメージがある。なお自動車のブランド「クラウン」は王冠を意味するCrown なので発音も違う。が、日本語だと同じに聞こえるので、区別するため「ピエロ」がいいのだろうか。

The Bernard B. Jacobs Theatre
242 W 45th Street
公演時間:2時間30分(休憩1回)
公演期間:2023年3月16日〜
(レビュー:2023年2月21日〜 )

舞台セット:8
衣装:6
照明:8
キャスティング:9
総合:9
©️Carol Rosegg 
©️Carol Rosegg 
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