レッドウッド(セコイアの木)
舞台装置の中心は、中央に据えられた巨大なセコイアとなる。ここで題名であるレッドウッドについて、簡単に解説しておこう。アメリカの開拓時代には多くの森が中西部から西部に広がっていた。これらの森の中には、特に大きな木としてセコイアまたはジャイアントセコイアと呼ばれる大木があり、これらの木材に赤みがあることから米国ではレッドウッドと呼ばれて伐採が進んでいたが、現在では残された大木が国立公園などで厳しく管理、保護されており、推定樹齢が2000年を超えるものも少なくなく、樹高は80mを優に超え、直径は12mに達するものもある。横に立つ人間など、本当にちっぽけに見える。なおセコイアは比較的山火事には強く、自然に繰り返される数十年に一度位の頻度ならば全く問題にはならない。
舞台装置に話を戻そう。舞台背景には、LEDがびっしりと埋め込まれたパネルが床からメザニン(中二階)まで設置されていて、床にはプロジェクターで映像が映し出される。つまり完全な森の中を再現している。さてジェシーは、森で出会ったセコイアを研究している大学教授フィンから、セコイアの幹の、地上からはるかに高いところに吊った板の上での生活を許可される。そうやって彼女は、ずうっと上の方から降りて来ているロープと体にセットした安全ベルトで確保されながら生活を始める。張り出した床板に腰かけ、脚を空中に投げ出して、ステラと名付けた木に話しかけるジェシー。やがて次第に、一年間避けていた悲しさと苦しみに向き合うようになっていた。徐々に解放される心に驚きながらジェシーは、ロープと安全ベルトに頼って、張り出した床板から外へ空中散歩を試みる。そして重力からの快方に高揚して宙返りなどを始める。遂には高くたかく木のいただきを超え、やがては森を眼下に観ながら樹海の上を飛ぶ。
どのシーンも、バックに設置されていたLEDパネルが静かに、ゆっくりと手前にせり出してきたり、空中高くに引いていくかの様に映像で表現し、ジェシーが空高く浮いていくように見せるのである。この舞台装置も凝っているが、このアクロバット的な動きをしながら歌うイディナ・メンゼルもたいしたものだ。
この作品『レッドウッド』は、2024年カリフォルニア州サンディエゴ大学にある劇場ラホヤ・プレイハウスで初演を迎え、今年ブロードウェイに移ってきた。イディナは昔から自然保護運動に興味を持っており、約15年ほど前にこの作品の原案を『スポンジ・ボブ』の脚本と演出を手掛けたティナ・ランドーと一緒に考えつき、新型コロナが蔓延していた最中に制作を始めたと言う。収益の一部を自然保護の研究に回したり、REI(全米に150店舗以上を展開する消費者協同組合型のクライミングギアの用品店)とも協力し合っているというから、その情熱を感じる。
大学教授の二人を演じるカイラ・ウィルコクソン(ベッカ)とマイケル・パーク(フィン)は、セコイアの木を登るシーンを演じるため、建物の壁などで、ロープにぶら下がりながらパーフォーマンスを行う「バンダループ」のメンバーから指導を受けたという。バンダループは1996年には渋谷でパフォーマンスをしたと言っていたから、ご覧になった方もいるかも知れない。ロープに吊られながら振り付けをこなすのは容易ではないだろう。腹筋などかなり筋力が要求されると想像する。ただ私的にはニューヨークやラスベガスでシルク・デ・ソレイユの空中芸を数多く楽しんできたためか、凄いと思うような振り付けには特に気付かなかった。現在53歳のイディナもその訓練を受けたという。最初慣れないうちは、逆さになって歌うと頭痛がしたそうだが、そんなチャレンジも楽しんだと言っていた。そう言うだけに空中に吊られながらも、低音からメゾソプラノまでの広い音域と並外れた声量を自由自在に操るその姿は力強い。想えば2014年の第65回NHK紅白歌合戦でニューヨークからのゲストとして出演したイディナ。本番では『レット・イット・ゴー/ ありのままで』を歌ったのだが、その時私は、収録前のウォーミングアップで、ピアノに合わせて数オクターブの発生練習をしている彼女の迫力ある声を聴きながら、感動していたのを思い出した。
ジェシーの息子スペンサーを演じるのは、中国移民の母親を持つユダヤ人で、ザカリー・ノア・ピサー。まだ28歳と若いながら力(りき)みのない素直な演技を見せてくれる。すでに『ディア・エヴァン・ハンセン』の主演も任されており、今後も続けて注目したい男優だ。もう一人、今回ベッカ役を演じるカイラ・ウィルコクソンもオリジナルのキャストではないが、『シックス』でブロードウェイデビューをはたした張のある声の持ち主だ。この様にハイレベルな助演男優、女優が揃っている。しかし今回ブロードウェイでの楽曲デビューとなったケイト・ディアスによる音楽と歌詞は、全17曲のうち13曲をイディナが歌っている。また舞台装置は紹介した通り、ほとんどがL E Dの映像だけだ。つまりイディナのコンサート、と言ってもおかしくない。それほどイディナファンにとっては最高の作品となっている。反面、ストーリーには難がある。大団円に心は揺れるが、特段のサプライズがあるわけではない。また最近のブロードウェイでよく思うことだが、ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)を入れないとブロードウェイで上演できなくなったのか、と心配になるほどゲイや人種問題について忙しく語っている。ジャイアントセコイアに抱かれたジェシーが、大自然の力で心の傷を癒していく、という永遠のテーマを主題に据えながら、自然の中では小さな存在である人間の性的指向や人種関連の話が繰り返される。皮肉なチグハグさを感じる。その度に自然の中から都会に引き戻される。たとえば教授のベッカが、ジャイアント・セコイアが繁る森のなかで「私たちのことはガールとかボーイ(性を限定する言葉)ではなく、ピープル(人々)と呼ばないとダメ」と提言したり、「頭の髪を剃って坊主にしないとヘルメットを被れないのよ。黒人女性の頭が入る大きなヘルメットを作らないなんて。」と不平を言う。セコイアの森で癒されていくジェシーの横に、ジェシーより前から悠久の森の中で呼吸している全然癒されないベッカがいるというのは、如何なものだろうか。結局、イディナの声の素晴らしさが、そんな脚本の欠点をカバーしているのだが、そう考えるとこの作品、いっその事ラスベガスで「ストーリー性のあるイディナのコンサート」として公演した方が良いのではなかろうか。「ストーリーのないブロードウェイ・ミュージカル」よりは受けるだろう。
<ストーリー>
一年前にジェシーの息子はロスアンジェルスで、ドラッグの過剰摂取で亡くなった。彼女はレズビアンで、息子が生まれた後に知り合った女性メルと結婚。共に彼を育ててきたのだが、息子の死後、悲しみを仕事で紛らわそうとして働いてばかり。メルと悲しみを分かち合うことはなかった。ある日妻との激しい口論をしたジェシーは、ニューヨークを抜け出し一人ロードトリップに出る。息子が住んでいたカリフォルニア州に辿り着き、セコイアの森に入ったジェシーは、木と語り合うことになる。最初の内は息子の自殺が頭をよぎり、セコイアから、ロープを外して飛び降りてしまおうと考えることもあった。しかしある日、森に自然発火の火事が起き、彼女は火に囲まれてステラの幹の上に取り残されてしまう。そこに息子の幻影が出てきて「ドラッグの過剰摂取は事故だったんだ。僕は自殺をしたんじゃないんだよ。ママの責任じゃないよ。」と、彼女を説得するのだった。ジェシーは初めて大いに泣き伏した。火事は次第に収まり、火に強いセコイアの木に守られたジェシーは無事だった。彼女はやっと人生から逃げるのをやめて前向きに生きることを選び、ニューヨークのメルのもとに戻ることを決心する。(2/18/2025)
Nederlander Theatre
208 W. 41TH ST., New York , NY
上演時間:110分(休憩なし)
公演期間:2025年2月13日〜



