荒野のワイン
あらすじ&コメント
物語は、画家ビル・ジェイムソンが没頭して絵を描いている場面から始まる。スリーサイドステージ形式の劇場では、客席後方の壁に彼の作品が並んで展示されている。背景には窓が設けられ、その周囲の壁は、天井が高く改装もされていない、いかにも昔のニューヨークのアパートらしい雰囲気を醸し出している。ビルは、黒人女性をモチーフにした三連画(トリプティック)の最後の一枚を完成させるため、3枚目のモデルを探している。外では銃声やヘリコプターの音が響く中、友人のカップルが理想のイメージにピッタリの女性をバーで見つけて、アパートへと連れてくる。
この作品は、芸術が現実をどのように反映し、あるいは歪めるのかという問いを投げかけると同時に、男性の視点から創られた女性像がいかに表層的で偏見に満ちていることがあるかをも描いている。その問題提起は次第に、少数派が多数派の中で、または、個人が数多い他者の中で、周りの目や価値観によって形成された自己像と向き合いながら、いかにして自身の生き方を見出していくのかという、より普遍的なテーマへと展開していく。
1969年にテレビ用に初演された『荒野のワイン』は、『Trouble in Mind』や『Wedding Band』と並ぶチルドレスの代表作の一つだ。いずれも人種差別や社会的抑圧を主軸に据えながらも、現代の「ポリティカル・コレクトネス」に収まるような単純な善悪二元論に陥ることなく、複雑な人間性への洞察に満ちている。本作も例外ではなく、登場人物たちの心情や関係性を緻密に描きながら、黒人社会の内面を超えて、人間そのものの本質に迫っていく。
タイトル「Wine in the Wilderness(荒野のワイン)」は、19世紀にエドワード・フィッツジェラルドが英訳したペルシャ詩集『オマル・ハイヤームのルバイヤート』の一節に由来するとされている。この詩において「ワイン」は、過酷な状況の中に見出される癒しや美、そして寄り添い合う存在の象徴だ。劇中では、画家ビル(演:グランサム・コールマン)が三連画で描こうとしている黒人女性像のうち、すでに完成している2枚目こそが「荒野の中のワイン」にふさわしいと信じている。そこに登場するのが、3枚目のモデルとなるトゥモロー・マリー(演:オリヴィア・ワシントン)である。
オリヴィア・ワシントンは、俳優デンゼル・ワシントンの娘であり、近年注目される若手俳優の一人だ。隙のある率直なキャラクターでありながら、尊厳を湛えたトミーを、生き生きと演じている。なお、父デンゼル・ワシントンも現在ブロードウェイで『オセロ』に出演しており、親子が同時期にニューヨークの舞台に立っていることになる。
ビル役のグランサム・コールマンは、舞台『The Great Society』でキング牧師を演じ、Netflix映画『Rustin』などにも出演している実力派俳優。彼の演じる画家のビルは、芸術や知的活動に没頭する一方で、現実社会や他人への理解に欠けた人物として描かれる。ただし、コールマンの整った容貌と自然な立ち居振る舞いは、社会への無関心や狭量さを内包するビルという人物像と完全には重ならず、ある種の違和感も残す。
<ネタバレあり>
ビルは三連画の最後の1枚で「粗野で下品な黒人女性」を描こうとしていた。そこに現れたトゥモロー・マリーは、派手な金髪の鬘といい、センスが良いとは言えない服装、洗練されていない話し方など、彼のイメージ通りの人物だった。彼は彼女の話には耳を貸さず、姿形だけをキャンバスに写し取ろうとする。しかし、トミーがジュースを服にこぼしてしまい、カツラを外し、ソファーに置かれていたアフリカ模様の大きなショールを身にまとうと、たちまち力強く、野生的で堂々としたアフリカの女性の姿に変貌する。そして、彼女の語る体験や痛み、怒り、そしてそれを乗り越える逞しさに、ビルは今まで考えもしなかった女性像を見出した。理想化された「黒人女性像」に囚われていた彼は、作られたイメージではなく、ありのままの個性の中にこそ真の強さと美しさがあることを理解していく。こうして、「荒野のワイン」という言葉の意味もまた、空想上の理想像ではなく、現実に生きる女性たちの尊厳を称える象徴として、新たな光を放つようになる。(4/11/2025)
Classic Stage Company
Lynn F. Angelson Theater
136 East 13th Street
公演時間:1時間25分(休憩無し)
上演期間:2025年3月24日〜4月19日



