An Enemy of the People 民衆の敵

An Enemy of the People
民衆の敵

演劇 ブロードウェイ
An Enemy of the People
民衆の敵
An Enemy of the People 民衆の敵

戯曲『人形の家』で有名なノルウェーの作家ヘンリック・イプセンの同名作品をエイミー・ヘルツォークが脚色したリバイバルとなる。原作は1883年にノルウェーで初演されて以来、世界中で何度も上演され、ブロードウェイでは11回目だ。今回は、テレビドラマの大ヒットシリーズ『メディア王 〜華麗なる一族〜』の主役を4シーズン務めて世界的名声を博したジェレミー・ストロングが主演している。ノルウェーの辺境にある小さな町の医師が、倫理感の為に心ならずもそこの町民と戦うことになる姿を描いている。演出は、エイミー・ヘルツォークの夫であり、トニー賞受賞者でもあるサム・ゴールドが担っている。 心の深淵に響く、見応えのある作品だ。

あらすじ&コメント

原本に出てくる医師の奥さんがヘルツォークの脚色では死去していて、彼女のセリフは一人娘のペトラが話す。主人公のトーマス医師は、世話を見てくれるペトラと故郷の町に帰って来ていて、ちいさな医院を営んでいる。普段は夕方患者を看終わった後、家に遊びにくる新聞社の友人らと酒を酌み交わしながら、世間話を語り合う平和な生活を送っている。

この小さい町に近々大きなスパ施設がオープンするらしい。昔から町に流れている温泉水を資源として、一大観光地にする計画が立ち上がったのだ。ところがトーマス医師は、その温泉水が有害なバクテリアによって汚染されていることを発見する。彼は医者として、生物学者として、その事実の発表を仲間である町の有力者たちに相談する。ところが町の仲間はその発見に驚き、トーマス医師への感謝ではなく、町の将来の発展のために汚染の事実をもみ消して、無かった事にしようとするのだった。そして事もあろうに、保証もされていない繁栄と金儲けに期待する町民たちを扇動し、皆やその家族の将来にわたる安全を考ているトーマス医師を、町の反逆者へと仕立てて行くのだった。

アリーナ形式の長方形のステージとなっているこの舞台セットは、その四方に観客がいる。つまり演じ手からは360度の全周から観入られる面白い構図となる。舞台デザインは、今、メキメキと力を発揮し始めたチームDOTだ。彼らについては劇評『Appropriate』でも少し紹介したが、日本人もいる若い3人組だ。さてその中央のステージが、劇の冒頭では医師の自宅の居間となっている。そこに娘とメイド達が電燈や蝋燭などの照明を一つづつ灯していくのだが、ノルウェーらしい北欧家具が、細部に渡るキメの細かいデザインで並べられているのを一つひとつ確認することになり、いきなり唸らずにはいられないオープニングとなる。

ちなみに休憩時には天井からカウンターバーが降りてきて、アメリカでは北欧産として良く知られている強い蒸留酒Akvavit が、15分間ほど観客にふるまわれる。休憩が終わるころには予め選ばれていた観客が、そのまま舞台の袖に作られたベンチに座り、その他の町民となって次のシーンの町民会議へと繋がっていく。また休憩を終えた俳優達も戻ってきて、町民を演じ、町民として座っている観客に話しかけるなどして、ステージを盛り上げていく。

主演のジェレミー・ストロングにとっては、2008年にブロードウェイの戯曲『A Man For All Seasons』でデビューして以来の帰還作品となった。先に触れたようにアメリカ合衆国で人気を博した風刺コメディドラマ『メディア王 〜華麗なる一族〜』の主演男優として、彼はエミー賞とゴールデングローブ賞を受賞している。背は低くハンサムでもない俳優なのだが、演技派の彼を生で観たい人々で満席だった。

過去の『民衆の敵』では主人公を、力強く、活力がほとばしり出る男優が演じてきたらしい。しかしジェレミーのトーマスは、思慮深そうで当たりが柔らかく、どちらかと言えば話下手で、おとなしい。しかしストーリーが進んでいくと、その一見弱そうなトーマスには、何より真実を尊ぶモラル観があることがわかる。一方彼の弟は、その故郷の町長であり、同時に温泉施設の会長でもある。テレビドラマ「ソプラノ」に出演していたマイケル・インペリオリが演じるその弟は、政治家なのだ。人間という生き物を良く理解し、民衆の心を操り、自分の富と権力を最大にする能力に長けた男だ。それに対してトーマス医師は、温泉水の汚染という科学的なテスト結果の事実を伝えて、町民を安全で健康な生活に導きたいと願っており、その責任はその事実を知った自分が担っていると確信している。それが故に彼が守ろうとする民衆達と戦うことになるのだった。

現代の様に映像とコミュニケーションが発達した世の中では、この作品が書かれた時代よりも更にルックスと雄弁さが力を持つ時代になっている。テレビが普及して以来、アメリカの大統領選では毎回ハンサムな候補者が選ばれるていると聞く。候補者が何を実際に行ってきたかではなく、分かりやすい表面的アッピールを見ているというのだ。だが真実は複雑なことが多いし、人は深く考えれば考えるほど雄弁にはなりにくい。しかし本作品では民衆が単純で分かり易い文言に惹かれるという悲しい現実も描かれている。まさに現代社会のトレンドを見せつけられている気がした。

皮肉なことに、この劇はオープンした日、地球温暖化防止の活動家グループによって中断された。彼らは「科学者を黙らせるな!」というスローガンを叫んでいたらしい。他人の作った舞台の場に乗り込んで、自分の言いたいことを叫ぶということ自体、この作品が強く批判していることだった。医師のスピーチを遮断して、しゃべらせない市民と、これらの活動家が重なってくる。まあプロデューサーとしては、このニュースがメディアで飛び交ったのは、思いもよらない宣伝になったと密かに喜んでいただろう。イブセンは、その前の作品『幽霊』で浴びた人々からの強い批判に抵抗し、トーマス医師に自身を投影してこの作品を書いたと言われる。権力者や政治家、そしてメディアにとって不都合な事実を公言した人間が、その仕事や権利を剥ぎ取られるという経緯を描いたこの作品だ。キャンセル・カルチャーが浸透し続ける昨今のアメリカでは、まさにタイムリーな作品だと言える。(3/20/2024)

Broadway’s Circle in the Square Theatre
235 W 50th Street
公演時間:2時間10分(10分の休憩)
公演期間:2024年3月18日~6月23日

舞台セット:9
衣装:8
照明:8
キャスト:9
総合:9
© Emilo Madrid
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