Ferryman, The ザ・フェリーマン

Ferryman, The
ザ・フェリーマン

演劇 ブロードウェイ
Ferryman, The
ザ・フェリーマン
Ferryman, The ザ・フェリーマン

この秋より「ザ・フェリーマン」がブロードウェイで上演されている。2017年春、英国ロイヤル・コート劇場でチケット完売記録を更新し、翌年にローレンス・オリヴィエ・アワードで作品賞、主演女優賞、演出賞を受賞。そしてウエスト・エンドのギールグッド劇場で3回の延長公演を経て、漸くアメリカでの公開となった。 表題のフェリーマンとは船を漕ぐ人のこと。だがここでは、ギリシヤ神話に登場するフェリーマン、つまりあの世とこの世を隔てる川で、渡り船を漕ぐ船頭を想像して欲しい。

あらすじ&コメント

舞台は1981年。復活祭(イースター)直前の北アイルランドのある街の裏通りから始まる。その街の沼でIRAメンバーの男性が手足をロザリオで縛られたまま、後頭部を銃で打ち抜かれた姿で発見された。その姿はIRA(アイルランド独立闘争を繰り返してきた武装組織)によって処刑されたことを暗示する。被害者はシェイマス・カーナー。彼は10年前に消息を絶っていた。 舞台は北アイルランドの田舎にある古い農家に変わる。 殺されたシェイマス・カーナーの妻ケイトリン(ケイト)は、当時は未だ幼かった息子オシンと伴に義理の兄クイン・カーナーを頼り、今では クイン が代々守ってきたカーナー農場で、彼の大家族と住むようになっていた。そこには数年前から寝室に引きこもったままのクインの妻メアリーと、16歳を筆頭に9ヶ月の乳児までの子供達7人が居た。また既に65年も前になるが、アイルランド独立の契機となった1916年のイースター蜂起で無くなったこの一家の長男、つまりクインの一番上の兄のことを未だに崇拝する長姉パトリシアも居た。そしてクインの直ぐ上の兄パトリックと、記憶がたまに戻る気のふれた姉マギーも、また同じ屋根の下に住んでいた。そしてケイトリンは、甲斐甲斐しく彼らの世話をしているだった。 ある日のカーナー農場は、恒例のイースターでの収穫祭を控え忙しく騒然としていたが、17歳になるクインの甥シェーン達3人もやって来て、いっそう賑やかになっていた。   やがてカーナー農場に黄昏が訪れると、食堂に集まった皆はその日の労働の話しで盛り上がっていた。と、そこに突然、IRAを統率する組織の重鎮マルデューンが訪れる。彼はカーナー一族に、シェイマスの遺体が発見されたことを伝えに来たのだった。 皆は、それぞれにその死を受け止めようとする。 そんな中、IRAのマルデューンはクインと二人きりになると彼に話した。今回の事件とIRAの関係を疑われてはならない。だから口は噤むように。それができないなら家族の安全は保障できない、と脅すのだった。しかしクインはその要求を無視する。何故ならかつてIRAの中枢にいたクインは、シェイマスを殺害した張本人こそが、マルデューンだったと知っていたからである。 舞台のスポットライトは甥のシェーンに移る。彼は10年前を想い出していた。まだ子供だった彼は、やがて殺害現場となるビルの外でIRAの協力者として周囲を見張っていた。その見張りを指示したのはマルデューンだった。 そのことを想いだしながら彼は次第に動揺し始める。その時殺されたのは自分の叔父だったのであれば、現場にいて首謀者を知る自分も危ないのではないかと怯え始める。酒の力でその思いを払拭しようとする彼は、クインの家に出入りする心優しく図体は大きいが頭が弱い雇われイギリス人のトムが、自身も性的に惹かれているケイトに求婚するところをたまたま見てしまう。彼は酒で朦朧とする頭の中で、同様に頑なにIRAを信奉する若者になっていたオシンに、IRAへの忠誠を示すためにイギリス人のトムを抹殺するべきだと仄めかす。 クインの妻メアリーは、ケイトはもうこの家に居る必要はないと思っていた。もともと行方不明の夫が戻ってくるまでという話だったからだ。クインと楽しそうに会話を交わすケイトに嫉妬していたのである。 そのケイトもマルデューンが自分の夫を殺害したのではないかとずっと疑っていた為、自分も彼に狙われると感じていた。彼女は機会を見つけてクインに二人で逃げようと相談する。しかしクインは、ケイトにきっぱりと告げるのだった。子供達をはじめ、この家族を残して去ることなんてできない。なぜならこの家族のために自分はIRAを抜けたのたから。そしてその所為でシェイマスは死んだのだから。何よりシェイマスにIRA思想を植えつけたのは、まさにこの自分なのだから、と。  彼女はその話しをしながら、クインと二人で守るこの家族こそが、彼女を幸せにしてくれていたのだと気付くのだった。 一方 再びカーニー農場にやってきたマルデューンは、ケイトがカーニー家から独り立ちできるように仕事と住居の世話おしようと言う。つまり口止めなのだ。ケイトは自分の息子オシンとクインの家族を守るためならそれも仕方がないと首を縦に振るのだった。 そこに大男のトムが、オシンを両手に抱えて家に入ってくる。手足を力なく垂らしたオシンの体を居間に横たえたトムは、ポケットから銃を取り出し、『オシンがこの銃をこちらに向けて「マルデューン氏がここにあり!」と何度も叫んだんだ。それで怖くなって・・・怖くなってオシンの首を捻ったら・・・。』と呟く。 走り寄ったケイトはオシンの体に覆い被さり、その名を叫ぶ。しかしすでに彼は息絶えていた。 皆が呆然と立つところに静かに訪れた夜の帳(とばり)がかかる大きな窓に、すたすたと歩みよる狂人のマギーは、その向こうにある闇を凝視して突然「ディアメイドとデクランが現れた」とつぶやく。   ディアメイドは16年後の1996年に、ロンドンで起こったイギリス警察による襲撃で死亡したアイルランド共和国軍兵士の名。デクランは26年後の2016年に、北アイルランド議会議員に選ばれた政治家で、彼の苗字はカーニーだ。   やがて立ち上がったケイトは、静かに居間につながる炊事場へ行き、ナイフをつかむ。最初は静かに、しかし徐々に速度をつけてマルデューンに突進する。だがすばやく彼女とマルデューンの間に立ちはだかったのはクインだった。「いけない!」と一言告げて彼女を抑える。そしてその手よりナイフを奪いとる。 マルデューンが安堵の様子を浮かべ、「クイン、こんなことが起こるとは思いも・・」と言いかけた瞬間だった。クインはマルデューンの方に振り返りざま、その手にあったナイフでマルデューンの首を割いていた。血がほとばしる中、今度はトムの手からすばやく銃を奪いマルデューンの手下の一人を撃つ。その血は壁にかかったクインの家族写真に飛び散った。かつてIRAの幹部だったクインにとって、それは自然で造作もないことだった。クインはもう一人の手下に銃を向け、「町に戻り仲間に伝えろ。ケイトリンの夫でオシンの父親だったシェイマス・カーニーの復習を、今ここでクイン・カーニーが果たしたと」。そして「カーニー農場に来る者は心の準備をして来いと」。手下は這うよう家から逃げ出すのだった。 横たわっていたマルデューンは最後の力を振り絞って、「これがクインさ」と呟き息絶える。   外では不気味な光と音が徐々に大きくなってきていた。それは町の人たちがカーニー家を襲いにやって来たのだろうか。だが、近づいてくるとそれは戦争の叫びと閃光の様である。あるいは家人の死を予告すると古くからアイルランドに伝わる妖精の叫びなのかもしれない。その鋭い光が入ってくる窓から外を、マギーはずっと見つめている。   その音と光が不気味な程の凄まじさになった瞬間、マギーが叫ぶ、とうとう彼らがやって来た!」。 彼女が驚嘆の表情で振り帰った瞬間、音は消えて暗転し終わる。 正義を唱える団体が、其の正義のために悪を犯し、不正から守ろうとした人々の生活を破壊する。そしてそこから生まれた恨みと憎しみが、更なる暴力を生み繰り返されていく様(さま)が丹念に描かれている。 だが観ている私たちは世界中のほとんどの人達と同様、ただ櫓を漕いで、死の世界に赴く人々を見守るフェリーマンなのかも知れない。 この作品は北アイルランドの歴史的な背景を基に練り上げられているので、イギリスのウエスト・エンドを中心として人気を博したのは当然と謂えば当然だ。例えば日本人が「大河ドラマ」を好んだり、第二次戦時中の映画や舞台などの作品を楽しむのに近い感覚ではないだろうか。 人は過去に起きた事件や物語を追求し、探求するのが好きだ。そしてこの作品で取り上げたIRAが関係する歴史問題は、まさに英国では身近で劇的な事件だ。つまり劇にして楽しめる話で、ストーリー以前に歴史的事実自体がイギリスでは馴染み深く興味をそそる身近な話である。 一方でその歴史にあまり馴染みのない私達にとっては、作者が狙った劇後感を得ずらいだろう。 そこで背景となる歴史などを、最後に簡単に紹介したいと思う。ほんの少しの予習で、これほどの作品を深く鑑賞できるのならきっと無駄にはならない。アイルランド訛りの英語に慣れる努力も有りだが、それがなくても十分に臨場感は伝わってくる。 もちろんアイルランド訛りの田舎の泥臭さを楽しみながら歴史的事実を上手に利用したミステリーとして、その中の人間模様とドラマを楽しむのも悪くはない。またIRAが関与した失踪事件が絡む農民家庭のヒューマンドラマとして観るのも、またひとつの楽しみ方だろう。 老若男女、さらには赤ん坊や動物に至るまでのキャストの数や多様さも見所で、その一人一人にそれぞれの設定を与え、個性あるキャラクター作りがされている。 だが振り返ってみると、果たして上演3時間という長さが必要だったのだろうか、とも思う。カーニー家の人々を一人ひとり描いて相乗効果を狙ったのは解るが、多少それに懲りすぎているという感が無くもなく、もっと削り絞り込んでも良かったのではないかと感じた。 脚本はジェズ・バターワース。彼はロンドン出身の劇作家で両親はアイルランド人。この作品も含めてローレンス・リヴィエ賞を2回受賞している。代表作に『エルサレム』、『リバー』がある。他にもボンドシリーズの映画『007 スペクター』など、映画やテレビの作品も多く手がけている。 演出はサム・メンデス。イギリス出身でトニー賞を2回。この作品も含めてローレンス・オリヴィエ賞を5回受賞している。映画監督としてのデビュー作品『アメリカン・ビューティー』でアカデミー演出賞を受賞したことで知られている。 舞台装置はロブ・ハウウェル。ローレンス・オリヴィエ賞を3回受賞。トニー賞はミュージカル『マチルダ』(2013年)で獲得している。冒頭にビルの裏とおぼしいグラフィティを壁一面に書いた狭い路地が、ステージ前方だけを使って表現されている。その後はずっとカーニー家の広い食堂と奥の居間が舞台だが、その壁には、貧しいながらも何代も続いてきた農民家族の歴史が、丹念に飾られている。   照明デザインはピーター・モムフォード。ローレンス・オリヴィエ賞を2回受賞している。外の陽の登り具合や沈み具合が巧みに表現され、ストーリーを盛り立てていた。   主要な役はロンドンからのオリジナルキャストで埋められている。 ケイト役は北アイルランド出身のローラ・ドネリー。この公演でローレンス・オリヴィエ賞を受賞している。彼女が誕生する半年前に、伯父がIRAに殺害されたそうだ。 クイン役はイギリス出身のパディ・コンシダイン。近年は脚本や演出もしている。マイ・ベスト・フレンドなどの映画にも出演しているので、知る人も多いだろう。 クインの妻メアリー役は、アイルランド、ダブリン出身のジェネヴィーヴ・オーライリー。『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』など、アクション映画に多く出演している。千秋楽は2019年7月7日に予定されている。

作品をある程度理解されたい方は、以下北アイルランドについて簡単な解説を書くので、流し読みして頂きたい。そこそこの知識で十分に楽しめる作品になっているので、これを読んだら安心して観ていただきたい。 まず地理として、イギリスとアイルランドの位置関係を確認たい。 欧州大陸から見ると、グレートブリテン島、すなわちイギリスが海の向こうに展望できる。しかしその向こうにあるアイルランド島は、グレートブリテン島よりもさらに西の先にあるので見ることはできない。大陸からの移住者、征服者、文化も文明も、まずイギリスへ向かい、その後アイルランドを目指す、というのが、交通手段や通信手段が進歩する前の姿だった。 この両島が最も近く接しているのが、アイルランド北部の東海岸となる。イギリス北部のスコットランド西海岸を経由して、いろいろなものがアイルランドに流入していった。ただここで思い起こしてほしいのは、アイルランドの西の先には高大な大西洋があるだけという点である。当時アイルランドの住民が自分たちの文化を守ろうとすると、アイルランドに踏みとどまって何とかする以外になかった。 宗教の違いにも触れておきたい。16世紀、マルチン・ルター等によりドイツで始まった宗教改革の波は、欧州中央から周辺に波及し、イギリスへも徐々に伝導した。 15世紀にはイギリスのクロムウェルによるアイルランド侵攻、統治もあり、虐殺と移民によるカトリック信者の減少および逃避により、プロテスタント信者の流入、増加が続く。 イギリスの完全な植民地となったアイルランドではあったが、昔からその地で生きてきたカトリック信者はそこに留まり、アイルランドの自治と独立を目指すこととなる。そしてついに1939年、イギリスに対して自治領としての存在を認めさることに成功する。そして1988年には独立を果たす。しかしそれは南部26州の独立で、北部6州は北アイルランドとして英連邦に帰属したままだった。そして現在に至る。その北アイルランドではプロテスタントが過半数を占め、統治は彼らが属するイギリス連邦の構成国として行われている。このような状況を経て、現在でもアイルランド島の諸州を統一したひとつの国としてのアイルランドを目指す勢力と、北アイルランドをイングランド、ウェールズ、スコットランドと並ぶイギリス連邦の構成国として存続させたい勢力が争っているのが、北アイルランドを焦点とするアイルランドなのである。多くの日本人は、1998年4月10日のベルファスト合意により、和平が実現し、この問題は解決済みだと思っているかも知れない。しかしこの合意はアイルランド共和国が北アイルランドの領有権を放棄することで、北アイルランド国民にアイルランド共和国、イギリス連邦のどちらか、あるいは両方の国籍を取得できるようにするとともに、国境を自由に行き来でき、政治的権限も平等な機会を与える、という合意であり、北アイルランドの双方の住民に可能な限りの自由を許容すると同時に、国籍問題については将来に先伸ばすことで和平を実現したのである。そして今もその継続のため多くの努力が傾けられている。この芝居に出てくる1960年の武装蜂起は、その様な経緯の中で起きた戦闘であり、それまでも繰り返され、その後も繰り返された戦闘の一つである。イギリス人は時々北アイルランド問題のことを「the Trouble /厄介事」と呼ぶが、彼らにとっては正に「厄介事」そのものなのである。  その1960年の武装蜂起の後の戦闘には最終場面で予言者ともおぼしい叔母のマギーが叫ぶ二人の名も出てくる。一人目のディアムイド・オニールは、1996年6月24日、ロンドン警察による襲撃で殺害されたIRA兵士で、今でもIRAと関係のあるアイルランドのシン・フェイン党が、毎年記念式典を行っている。 もう一人のデクラン・カーニはシン・フェイン党のトップで、2016年には北アイルランド議会議員に選ばれている。彼はある演説で、二人の義理の息子の死を悼んでいる。一人は暫定アイルランド共和国軍のボレンティアをしていて殺害され、そしてもう一人は、イギリスのスパイであることが暴露されて殺害されている。    最近になり又、大きな問題が生じている。前年2018年、イギリス連邦はEUからの離脱を国民投票により決定した。これにより漸く実現した北アイルランドの平和が危うくなりつつある。 問題になっているのはEUに加盟しているアイルランドと、イギリス連邦構成国である北アイルランドとの国境管理をどうするかという点だ。EU構成国として難民問題の解決を一緒に検討して推進し、難民受入れも同じように負担してきたイギリス連邦が、これ以上の協力はできない、といって離脱決定をした形になっているが、その一方で関税も国境もない、つまり人も物も金も自由に行き来きできる北アイルランド国境を、そのままにすることは非常に難しい。北アイルランドが現状のままではEUの存在意義が無くなってしまうからだ。EUを日本に置き換えるのなら、一地方で海外との国境を無くし、そこを世界に開かれた関税のない場所にするということである。現実的とは思えない。 簡単に解決するにはベルファスト合意の前のように、国境を封鎖して、人物金の移動を制限することが考えられる。しかしそれは北アイルランド経済に深刻な打撃を与えることになり、失業率上昇と政情不安がIRAによるテロ復活を誘引し平和は去るであろう。そういう状況を考えると、この作品はとても時宜を得た作品とも言える。

メディア評

NY Times: 10
Wall Street Journal: 7
Variety : 9

Bernard B. Jacobs Theater 242 W. 45th St. 上演時間: 3時間15分 (15分の休憩と5分の一時休憩) Running time: 3-hours 15-mins (one intermission and one 5-min pause bet. acts 2 & 3) Closing: February 17, 2019

舞台セット ★★★★☆ 衣装 ★★★★☆ 照明 ★★★★☆ ストーリー ★★★★★ キャスティング ★★★★☆ 総合 ★★★★☆

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