King Lear リア王

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リア王

演劇 ブロードウェイ
King Lear
リア王
King Lear リア王

17世紀初めにシェークスピア(沙翁)が書いた四大悲劇の一つ『リア王』は、現在もいろいろなところで上演されている。が今回は、全く新しい解釈と銘打っての公演だったので足を向けた。主演はグレンダ・ジャクソン。彼女はアカデミー賞2回、トニー賞1回を受賞している大女優で、御歳82。果たして男優でも難しいリア王を彼女が演じれられるのかという気持ちで観に行った。

あらすじ&コメント

しかし彼女が口を開いた瞬間、そんな懸念は吹き飛んだ。前かがみの小さな体から発せられるハリのある声は、権力を思うがままに手にしてきた老王リアのそれで、私が過去に見た誰よりも「リア王」をしっくりと心の中に落してくれた。これまでは何の疑いもなく姉娘達に騙されるリア王が不甲斐なく、違和感を覚えていたのだが、今回はそれがクリアになった。グレンダ・ジャクソンは、強大な権力を持ちながらも、更に「感謝してもらいたい」「自分がいかに素晴らしいか聞きたい」という強いエゴと脆弱性を持つリア王の心理を上手に表現している。この伏線があるからこそ、愛情を口に出さない最愛の末娘コーデリアへの強い失望と怒りが理解できるのだ。

この末娘コーデリアを演じるのはローレンス・オリヴィエ賞を2回受賞したルース・ウィルソン。しかし残念だが、父への思いの深さ故に愛情を上手に表現できないコーデリアは、そこには居ない。その所為で、父王の渇望を利用して権力を操つる姉達と、それを我慢する慎しみ深い妹コーデリアとの確執が描かれていない。彼女の父親への愛情と誠実さの為に、彼に起こる悲劇的な顛末という、作品の面白さの一つを解り難くしてしまっている。
ただしルース・ウィルソンだけの責ではあるまい。この芝居で彼女は、一人二役で道化も演じるのだが、そちらは天下一品だ。

私には分からなかったがシェークスピアを演じたことのある友人は「韻律 (韻文)の扱いだ疎かで、シェークスピア劇の持つ詩のような美しさがない」と言っていた。これも「新解釈」のシェークスピアなのだろう。他にも沢山の新しい演出があちらこちらにあるが、その一つはリア王が名台詞を吐くような重要な場面で、弦楽四重奏が奏でられるところだ。映画やドラマのように緊張感を演出したいのだろうが、大きな舞台では、何メートルも先にある俳優の顔の表情を読み取ったり、その言葉を聞き取ろうと集中しているとき流れる背景音楽は、妨害以外の何物でもない。俳優達にとっても可哀想だ。

また今回の劇でインクルージョン &ダイバーシティ(多様性の包含)を表現しているのも新たな挑戦だろう。
リア王だけではなくグロスター伯爵もまた、女優ジェイン・ハウディシェルが演じている。黒人俳優の起用もそこかしこにある。また次女の夫役は聾唖者が演じていて、一緒に手話通訳者が舞台に出て来る。すると時々なのだが、誰がセリフを言っているのかわからなくなってしまう。私も一般的にはインクルージョンとダイバーシティに違和感はない。また女性のリア王にも抵抗感はない。演劇に社会メッセージを入れることも大いに結構だと思っている。しかし「作品の本質を構成するテーマを損なわない限り」という条件がある。演出家の思いが、観客が作品を理解する上で必要ではない別物となり、その注意を散漫にするほど入り混んでしまっては、独善と言われても仕方がない。シェークスピアは墓の中できっと泣いている。
4/10/2019

千秋楽:7月7日2019年

Cort Theater
138 W. 48th St

上演時間:3時間30分(15分休憩一回)

舞台セット:6
衣装:6
照明:8
総合:6

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