パーリー・ビクトリアス〜(直訳)南軍ではない者が小さい綿農家をはしゃいで進む〜
あらすじ&コメント
(あらすじ)ダイナミックな巡回説教者パーリー・ビクトリアスは、ある日、ジョージア州の綿花農園にある実家に、孤児のルティベルを連れて戻ってきた。彼は大農園のオーナーで抑圧的なコッチピーをうまく騙して、そこの教会を買い取ろうと企てていた。その村のある白人老婆が、メイドだったパーリーの叔母に500ドルの遺産を残していたのだが、その叔母も亡くなったため、コッチピーがその500ドルを預かっている。叔母の娘のビートリスに渡るはずだったが、実は彼女も大学在学中に死んでしまった。そこで、パーリーは孤児ルティベルをビートリスに見せかけて、生きていたら受け取るはずだったその遺産をもらおうとしているのだ。一方、ルティベルはパーリーの奥さんになることを夢見ている。最初は彼女を、コッチピーを騙す材料としてしか見ていなかったパーリーにも、次第にその気持ちが伝わり、彼女を愛しく思う気持ちが芽生えてきていた。ある日、ルティベルを着飾って自分の従姉妹としてコッチピーに紹介する。話は上手く進んでいたが最後、愚鈍なルティベルは500ドルの領収書に、従姉妹のビートリスではなく自分の名前をそのままサインしてしまう。コッチピーは騙されそうになったことを怒り、パーリーを鞭打ちにしようとする。しかしコッチピーの息子チャーリーを育てあげた黒人乳母イデールが、なんとか彼の怒りを抑えてくれた。
料理人としてルティベルを雇ったコッチピーは、ある日、彼女をものにしようとしてきた為、彼女は料理もそのままに逃げ帰ってきた。パーリーはその話を聞いて怒りまくる。「そんなことで楯突いたらお前が危ない」と兄は二人にこの土地から早く逃げろという。しかしパーリーは兄の助言には耳を傾けず、コッチピーの家に乗り込んでいく。夜明けになって家族の元に戻ってきた彼は500ドルを手にしていた。コッチピーを痛めつけて如何に勇敢にお金を取り戻してきたかをトクトクと語るパーリー。しかし実はただコソコソとお店から盗んできただけだったことがバレてしまう。間もなくコッチピーは二人の警官を連れてパーリーの実家に乗り込んできて、騒動が起こる。そこに大農園の庶務を担っていたコッチピーの賢い息子チャーリーが来て、教会の権利証書をパーリーの名義で作成していたことを父親に伝える。息子に裏切られたことを知ったショックで、コッチピーはその場で心臓発作を起こし、立ったまま往生してしまう。教会を買い取る必要がなくなったパーリーは500ドルをチャーリーに返そうとするが、彼は受け取らない。教会はパーリーのものとなり、そこには多くの人種が集まってきた。彼は「隔離はいけない。人々が手をつなぎ合って一つになることが神の願うところなんだ」という説教を明るく説くのだった。
(評)パーリーを演じているのはレスリー・オドム・ジュニア(42歳)。彼はヴォーカリスト、ソングライター、作家でもあり、トニー賞とグラミー賞を受賞し、エミー賞に3度、そしてアカデミー賞に2度ノミネートされている多彩でエネルギッシュな俳優だ。レスリーが巡回伝道師パーリーとして披露する説教は、マーティン・ルーサーのスピーチなどでも聞いたことがあると思うが、黒人特有の英語のもつ抑揚をフルに活用したリズムのある語りで、音楽を聞いているように流れていく。そのスタイルを思う存分劇場で聞けるのも特典だろう。
パーリーの従姉妹に見せかけようとアラバマから連れてきた孤児の娘ルティべル役は、戯曲『Cost of Living』に出演していたカラ・ヤング。150cm程の小さな体から大きい張りのある声を出す。多少大げさな演技もあったが、一途なルティべルを単なる愚鈍なだけでなく、一風変わった女性として良い味を出している。また白人を煽て上手く立ち回るコミカルなパーリーの兄は、今年のトニー賞シーズン前に公演された戯曲『Fat Ham』に出演していたビリー・ユージーン・ジョーンズが務めている。
この作品を楽しむためにその時代背景を簡単に述べようと思う。この舞台のジョージア州を含めたいくつかの南部の州で、南北戦争(1861〜1865)後、ジム・クロウ法が発布された。この法律の元、学校やバスの座席、公共水道口やトイレなどを隔離したり、白人との結婚を禁止するなど、黒人やアジア人などは隔離され続けた。その法は場所によっては1964年、人種差別を禁止する公民権法が布告されるまで続けて執行されていた。
民権法が発布される以前に発表されたこの作品は、ダイバーシティの大切さを語り、人種を超えて平等な社会を作りたいというデイヴィスの希望が込められている。それは当時ニューヨークと言えども画期的だったのではないか。そして、とかく重く暗い話になりがちな人種問題という題材を、笑いに変えて前向きなメッセージに作り上げていることに新鮮さを感じる。
1970~80年代、民主党と共和党の政治家たちは、それぞれの政策に違いはあっても、ワシントンDCのバーやレストランでは一緒に飲食をし、語り合って意見を戦わせていたものだった。そして議論や論争の後、握手をして相手に敬意を払うのが、お互いの思想の自由を守ろうとするアメリカ人の象徴だったとも言える。ところが最近では意見の違いだけで社会全体に分断が溢れている。ウォーク、BLM (ブラック・ライブス・マター)やトランスジェンダーの活動家などによるSNSを通しての激しい批判、強い敵対意識によるキャンセル・カルチャーなど、倫理的に劣化した人物だとレッテルをつけた挙句、その人の職やSNSのプラットフォームを壊しにかかる時代になった。
デイヴィスが当時伝えようとした、多元的な社会を築く大切さを説いて、違う意見や生い立ちをもつ人々が手をつなぎ合って一つになろうというメッセージは60年を経た今も普遍的な意味を持って現代の観客に受け止められることを願う。(9/30/2023)
The Music Box Theatre
239 West 45th Street
公演時間:105分(休憩なし)
公演期間:2023年9月27日〜

