Slave Play スレーブ・プレイ

Slave Play
スレーブ・プレイ

演劇 ブロードウェイ
Slave Play
スレーブ・プレイ
Slave Play スレーブ・プレイ

2018年のクリスマス・シーズンにオフ・ブロードウェイで開演した時、SNSで随分と騒がれ、マドンナ、スカーレット・ヨハンソン、ウーピー・ゴールドバーグなどの豪華なセレブたちが多く観劇に訪れたことで、更に話題に上った作品だ。衝撃的なセックスシーンが多くある為、「R指定、17歳以上」のカテゴリーに指定されている。

あらすじ&コメント

舞台の左、右、奥が全部鏡張りの壁になっているドラマチックな舞台装置。その巨大な鏡の上には「Nuh body touch me, you nuh righteous」と大きい文字が書いてある。有名歌手リアーナのジャマイカの方言を使った歌「Work」の一節で、普通に書くと「Don’t touch me, you’re not rightious」となり、訳すと「あなたは良い人じゃないから、触れないで」という意味になるだろう。その巨大な鏡には、闇の中、殆ど黒にしか見えない観客席と、映画『風と共に去りぬ』を思い出させる様な南部の白い大屋敷が、左右に細長く映し出されている。

第一場では、三組の黒人と白人のカップルによる性的なシーンが順に繰り広げられる。最初のシーンでは、奴隷と思われる女性が納屋の床を掃いている。そこに、時代背景とは合わない現代的な音楽が始まると、彼女はお尻を左右前後にふりながら官能的に踊り始める。そこに、鞭を手に持った白人の奴隷監視人が入ってくる。女性は、彼を怒らせない様に気をつけながら、彼を誘惑する。それに気づいた男は、彼女に性的な格好をさせようと、わざとスイカを床に落として、「そのメロンを犬の様に食べろ」と命令する。すると、二人の間で「これはスイカよ」、「いやメロンだ」などという会話が続く。奴隷と監視人という設定とは似合わない、男女の馴れ馴れしい口調とその演技に、観客席には笑いが起こる。その内、男は彼女にセックスを強要し、彼女はそのレイプの様に強引な行為に興奮する。すると、上手奥の鏡の扉が開き、二人は、小道具の机ごと舞台裏に引き込まれていく。そして今度は真ん中の扉が開き、四柱式ベッドが滑るように前に出てくる。バイオリンを主人の為に弾く奴隷と、主人の妻が登場。彼女は、奴隷に「ベートーベンではなく、あなた達の音楽を奏でて」と命令する。彼女はそのメロディーを聴きながら性的に興奮し、彼をあの手この手で誘惑する。そして、とうとう彼がベッドに横たわると、大きなディルドで彼を後ろから攻め、男は歓喜の声を上げる。すると、同じ様に舞台の鏡の扉が開き、ベッドごと二人は舞台裏に引き込まれていく。今度は、下手奥のドアが開いて、足が不自由な若い白人男性が綿を積んだ荷台と共に入って来る。彼が辛そうにその荷を一つ一つ地面に下ろしていると、カウボーイ・ハットを被った若い黒人青年が違うドアから入ってくる。白人青年は移民の契約労働者で、黒人青年はその監視役を務める奴隷の様で、二人ともイケメンだ。彼らも、その設定に似合わず、ニックネームを付けあったり、時々急に馴れ馴れしい口調になって皮肉を言い合ったりする。しかし、このカップルも次第にお互いを荒々しく性的に挑発し始め、服を破き、ブリーフだけになると、監視役は契約労働者に革のブーツを舐めろと命令する。指示に従う労働者の表情からブーツがかなり不味いのはバレバレなのだが、「革の味は堪らない〜」などと言ったりするのも笑える。そして、そんな彼を眺めながら、監視役はオルガズムに達する。

三組それぞれのセックスシーンからなる第一場は、南北戦争前の格差社会という重い題材とは裏腹に、非常にユーモラスな表現を用い、まるでショート・コントのように劇場は笑いに包まれていた。しかし、今まで、ブロードウェイの舞台で、奴隷がセックスを強要されるシーンがここまで露わに表現されたことはあまりない。このポリコレの時代に、黒人の脚本家と演出家のペアでなければなかなか挑戦できなかったはずだと思うが、それにしても非常に挑発的である為、オフに引き続き、アフリカ系アメリカ人からの強い不満の声も呼び起こしている。

この作品については、ネタバレせずには述べにくい。申し訳ないが、早いけれども次の段落からネタバレとなる。

 

<ネタバレ>
第二場では、先ほどの三組のカップルが、現代の普段着で登場すると同時に、新たに白衣を着た女性二人が出てきて折りたたみ席に一緒に座る。実は、三組は、セックスを楽しめなくなってしまったカップルたちで、「南北戦争前セックス心理療法」を研究している心理学者二人のリサーチに参加しているのだった。グループ・カウンセリング・セッションが始まると、第一場のセックスをしてみて学んだことや感じたことを話し合う。しかし、セラピストら二人も、黒人と白人のレズビアンのカップルである為、彼らの主観的感情も邪魔して、なかなか生産的なセラピーにつながらない。内容も繰り返しが多く、面白く深い話が出たなと思うと、尻切れトンボで終わってしまい、浅い討論で終わってしまう。第一場が非常に刺激的だった分、第二場では観客の期待と興奮がどんどん萎んでいった。三組目のゲイ・カップルの一人で契約労働者を演じた男性は、明らかに白人なのだが、「僕は白人ではない」と否定し続けるところが興味深い。

第三場では、冒頭に登場した夫婦が、自宅で監視人と奴隷の役割を演じながらもう一度セックスを試してみる。しかし、妻は途中でそれを止め、夫は元々支配的な性格ではない上、本当は王女の様に崇めている妻を卑しめる行為を演じたことで吐き気を催してしまう。彼女には、自分の祖先が奴隷だったという歴史が深くのしかかり、最後には、もう夫婦としてやっていけないという絶望感に浸って幕は閉じる。

肌の色に関わらず、性的嗜好の違いをめぐる問題を抱えている夫婦は、世の中にどれほど多くいることだろうか。支配的役割や隷属的役割、マゾやサドなどの役割をすることで興奮する人もいるだろうし、それが肌に合わない人もいるだろう。同性愛にも同じことが言えるのではないかと思う。脳の原始的な部分でコントロールされている性的嗜好は、ある程度生まれた時から形作られているものではないだろうか。この三組のセックスの相性をめぐる問題を、それぞれが背負う黒人と白人をめぐる歴史や文化に帰属させようという視点には多少無理がある。彼らはお互いに相手をとても大事に思っていて、好き同士であることは明らかだ。性行為の相性の問題を、奴隷制度の歴史と絡めて分析するのも、アングルとしては新しい試みで、好奇心はそそられたが、焦点が散漫で、浅い討論になったグループ・カウンセリングの内容を聴きながら、ここで人種を問題にするのはやはり無茶な試みだと感じた。アメリカの黒人差別をめぐる社会問題の深さを伝えたいのだろうが、歴史、偏見、文化などから習得する偏見やそこから発生する問題について、必ずしも生まれた後に習得されたわけではない性的嗜好を切り口に使うことは、最適な選択だったとは思えない。

最近アメリカでは何を話していても、すべて人種差別、性差別、年齢差別ではないかと国中が異常に神経質になっている。振り子は両側に何度も振れないとバランスの良い真ん中で止まることがないことを考えると、このような状況は必要不可欠なのかも知れない。しかし、その振り子をあえて逆方向に振り、火に油を注ぐ様なこの作品に、ブロードウェイの観客も流石に興ざめしたのか、最後に立ち上がって拍手を送る人は少なかった。私は、たまたま白人の友人と一緒に観に行ったのだが、彼女は20代にも関わらず「奴隷制度に対して凄く責任を感じるし、白人として何も言えない世の中だから、とても気まずかった」と言うので、気の毒になってしまった。10/10/2019

期間限定公演10/6/2019~1/19/2020

John Golden Theatre
252 West 45th St. New York, NY 10036
上演時間:2時間(休憩なし)

舞台セット:9
衣装:8
照明:8
総合:7
Photo by Matthew Murphy
Photo by Matthew Murphy
Photo by Matthew Murphy
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