杉本文楽 曾根崎心中
あらすじ&コメント
そして今年、同センター主催のホワイト・ライト・フェスティバルに文楽が招待された。世界各国の特別な技を持つアーティスト達が迎えられて、演じられるこのフェスティバルは、今年が10周年目。その初日の幕を切ったのが文楽だった。題目は近松門左衛門の伝統的作品「曾根崎心中」。恋人同士の情死が題材で、日本文化を欧米に紹介する時には、避けて通れないテーマのひとつだ。
芸術の街ニューヨークで日本の伝統芸術に触れる度に、そのレベルの高さに誇りを感じるのだが、今回の文楽は、抱いた期待をはるかに超えていた。
人間国宝級の方々も何人か演じておられる。長い年月、厳しい稽古を重ね続けて達成する伝統の重みや、細部に注力しつつも無駄を徹底的に削ぎ落とした繊細な人形の動きに、こちらはただただ唸るだけだった。照明も日本独特の世界を醸し出していた。冒頭では闇の中より三味線奏者が浮び顕れ、弾き終わるとまた静かに闇に消えていく。あくまでも控え目で、世界の中の小さい儚い存在でしかない一人の人間の居場所を悟ったかの奏者の、誇りと威厳に満ちた所作に、分をわきまえることの重みを感じざるを得なかった。
2幕目では「天満屋」の行灯の温かな明かりが暗転し、「道行(みちゆき)」へと移る。その背景に投影される青と白のグラデーションは、二人が歩んで行く先にある天の川なのか。あるいは三途の川なのか。冷たい照明は、この世への名残りを惜しみながらも来世を誓う二人の心象を反映しているかのようだ。
アメリカに居て思う事がある。個性の主張に捉われてしまって独自の表現に急ぐ若者達が多い。しかし、どれほど抑えても消せないのが自分らしさや個性だ。もしそれが簡単に消せるのなら、その人は元々アーティストではないだろう。師匠をまね、技術を徹底的に磨き、経験を重ねたとき、意図とは無関係に個性は顕れてくる。修業に投じた時間が長いほど、観る者の心を掴む力が備わる。そんな修行に個性が代々積み重なり人の心に染み渡る普遍性の美を保つ時、それは今に残ることになる。過去の演者の個性は、今の演者の細胞に染み込み、歴史の重さとなって尋常ではない凄味で観る者を引き込むことになる。だから急がず焦らず、自分の中に静かにしっかりと存在する個性が自然に滲み出てくるのを待つのがいい。そうやって生まれ来る技や所作は、その演者だけの洗練された精巧の美しさを持っている筈だ。
今回の作品は素晴らしい故に惜しまれる側面もあった。それは台詞の英語訳だ。「曾根崎心中」のお初と徳兵衛が心中の為に落ち合った天神森にお初はカミソリを持参して来る。その死の覚悟を、徳兵衛は「さすがだ」と褒める。と、その時劇場は笑いでどよめいた。英訳がどういう言い回しだったのかは、舞台の縁のプロンプトを見ていなかったので不明だが、ここはコミカルなシーンではない。他の部分の英訳でも似た様なことがあった。そこでプレイビルを調べてみると、英訳はイギリスで日本研究をしている大学教授が担っていた。翻訳というのは難しい。『ロスト・イン・トランスレーション』の映画ではないが、気持ちを言葉で伝えるということのハードルの高さを思い知らされた。
「曾根崎心中」は江戸時代中期の作家近松門左衛門による浄瑠璃や歌舞伎の原本だが、今回の演出は、NYに住んで多岐にわたる分野で活動している写真家の杉本博司氏による。普段の舞台ではある筈の手摺りがないので、闇のなかに人形遣いの様子がシルエットで浮かび上がる。人形ばかりか、操っている黒子達も群舞のように美しく無駄なく動く様子が判る。また上演時間は休憩有りの2時間30分。外人にも観易いように通常よりも短縮されている。
先程も少し触れたが、背景には映像が取り入れている。杉本氏は素晴らしい写真家で、常に題材が生き生きとしている。しかし残念ながら今回の映像には、その色気はない。写真と映像が別物であることを、改めて痛感した。現代技術を取り入れて、日本の伝統文化を若い世代や海外にアピールする熱意は応援したいが、文楽の背景にプロジェクターで動く映像を見せるという試みは、バッハの曲にシンセサイザーの伴奏をつける様なもので、残念ながら余分なものに感じられた。
それにしても素敵な晩だった。杉本氏をはじめ、このイベントに関わった方々に感謝したい気持ちで、いっぱいだ。芸術はいい・・・、日本人に生まれて良かった・・・。月並みだがしみじみ感じた夜だった。ブロードウェイの分かりやすいショーをいつも観ているので(それはそれで良いのだが)、たまにはこんなふうに、神経が研ぎ澄まされる機会を逃してはならないと、改めて肝に命じた。
最後に文楽について簡単に書く。
文楽とは。
音楽的な語り芸能のことを浄瑠璃と呼ぶ。13世紀に成立した「平家物語」などが代表で、当時使われた楽器は琵琶だったが、16世紀に琉球から伝わった弦楽器を基に三味線がつくられ、それが使われる様になる。そして浄瑠璃が平安時代から、放浪芸として親しまれていた人形操りと1600年ごろに出会い1つになったものが「人形浄瑠璃」と呼ばれた。
貞享元年(1684年)に大坂の道頓堀で、人気だった竹本義太夫(声優兼語り手)が独立し竹本座を開いた。人形浄瑠璃といえば義太夫節といわれるようになる。そして作家近松門左衛門などの作品を演じることで隆盛となるが、彼らの死後、18世紀後半になると人形浄瑠璃は廃れていく。だが約200年前、植村文楽軒は大坂で浄瑠璃の稽古場を開いた後、1805年には資財を投げうって新地に立人形興行を始める。明治に変わると「文楽座」と名乗り始め、人気を集める。このころから、人情浄瑠璃は文楽とも呼ばれるようになる。このような経緯から文楽は、江戸時代の関西弁で演じられている。今は複数のスポンサー国や大阪府、大阪市、NHK、関西の財界の支援を受けて運営されている。
太夫・三味線弾き・人形遣いになるには。
現在は師弟による相伝か、研修制度を採用して後継の育成をしている。能や歌舞伎は世襲制だが、文楽は厳密な意味で世襲制ではない。現在の研修生応募資格は中卒以上、23歳未満の日本人男性となっている。
人形遣いの修行について。
「足10年、左10年、主遣い一生」と言われる。時には一つの部分の修行に15年くらいかかる場合もあるらしい。
主遣いは、頭(かしら)と右手を担当する。3人の中で一番難しいとされ、左手や足のリードをとる指揮者の役割も担う。
左遣い(黒子)は人形の左手を担当する。準備として小物などを主遣いに渡すこともある。また主遣いの代役を務めることもある。
足遣い(黒子)は両足を担当する。常に中腰で操る。女の人形には普通足がないので、着物さばきで表現する。
「トン」という足拍子を踏むのも彼の役割だ。肉体的な負担が大きいので、体力のある若手が務めることが多い。
人形の顔と手は人形師が作り、髪は床山が結う。着物は主遣いが丁寧に着付けする。
胴は空洞になっていて、丈は130cm~150cm。設定した人形の年齢、性別、職業などで重さは変わる。武将や着物を着た女性は重くなり、数キロから30キロとなる。
10/22/2019
Rose Theater, Jazz at Lincoln Center’s Frederick P. Rose Hall
Broadway at West 60th Street, 5th floor
上演時間:2時間30分(休憩一回)