The Picture From Home ピクチャー・フロム・ホーム

The Picture From Home
ピクチャー・フロム・ホーム

演劇 ブロードウェイ
The Picture From Home
ピクチャー・フロム・ホーム
The Picture From Home ピクチャー・フロム・ホーム

前衛写真家ラリー・サルタンは、週末に実家を訪れ、老いてゆく両親を何年にもわたって撮り続けた。そして1989年、短い文章をその写真に添えて、子供の頃の家族の八ミリ映像と一緒にMOMA(ニューヨーク近代美術館)で個展を開く。その展覧会は評判となり、そこを出発点に彼の名は知られて行くようになる。既に彼は亡くなっているが、今でも世界中に多くのファンがいる。

あらすじ&コメント

今回紹介する作品は、ラリー・サルタンが両親を撮影する様子を描いた軽いタッチの戯曲となる。演題の『The Picture From Home』は、MOMAの展示写真を元にした写真集のタイトル『Picture From Home』を使っている。舞台ではその写真や映像が、プロジェクターによって背後に映し出され、話が進行する。脚本はシャー・ホワイト。演出はバートレット・シェア。演じるのは数々のアワードでノミネートされたり授与されてきたネーサン・レーン(父・アービン)、デイビッド・バーンスタイン(息子・ラリー)、ゾウィ・ワナメーカー(母・ジーン)という錚々たるメンバーだ。

第二次世界大戦直後ラリーの父アービンは、アメリカン・ドリームを追ってブルックリンから無一文でカリフォルニアにやって来る。そして大手剃刀メーカーにセールスマンとして入り、人一倍努力して副社長になる。やがて歳をとって職を離れた彼は、妻と伴に余生を過ごしている。そんなところに息子が写真を撮りにやってくる。息子、つまりラリーは突然レンズを振ってきたり、ポーズを要求したりするので、アービンは次第に苛ついてくる。「毎週末、お前はうちに来る」と不平を言う父親に「隔週だよ」と反論する息子。セールスマンから叩き上げて副社長になり、家族を守り養ったことを誇りにする父親は、「写真家などは馘にならないのだから仕事とは到底呼べない。もっと有意義な時間の使い方があるだろうに。」と言う。

ラリーにとっては父親を、自分と無関係な一人の被写体として捉えるのは気恥ずかしかった。何か見てはいけないものを覗く様な気がするのだ。だがそうやって家族の歴史を振返えったり父親を客観的に捉えることで、ラリーは自分自身を見つめ直そうとする。次第に歳をとっていく両親の体や肌をレンズ越しに見ながら、いつかこの人たちは死んでしまうんだ、と実感するようになる。そして両親の生き様を残したいという思いに駆り立てられていく。

撮影は10年続き、両親が老人ホームへ引っ越す日に終わる。両親は老人ホームでの日々を楽しんでいたが間もなく亡くなる。その後すぐにラリー自身にも癌が見つかり、61歳で両親の後を追う。

劇評家らの批評は今一つで、「アーサー・ミラーの『セールスマンの死』を思い出すが、名作ではない」などと書くものもある。実は私も『セールスマンの死』を思い出した。だが似て非なるものだと思っている。彼の(かの)名作は当時の社会批判が背景にあって重い。一方こちらは父と息子という二人の男を、一人称的に散文詩の様に描いている。彼らは背景で立ち替わる写真と伴に、ペーソスに溢れながらもユーモラスに描かれる。ベテラン、ネイサン・レーンの演技は絶妙で、どんどん笑いに引き込まれる。一方デイビッド・バーンスタインが演じるラリーの、家族とは何かを探る言葉には涙してしまう。

ただしっくり来なかった点もある。親子を演じる二人が9歳しか離れていないのだ。ネーサン・レーンが67歳、デイビッド・バーンスタインが58歳。と言ってもそこは俳優だから年齢表現などは演技の内だろう。だがラリーは「実家に帰ると僕も単なる彼らの息子に戻ってしまう」と独白するナイーブな前衛写真家なのに、それを演ずるデイビッドはがっしりしていて逞しく、どこか頼れる雰囲気のある俳優だ。この作品は、愛しあいながらも口論を繰り返す親子の対立が重要なテーマなのに、最後まで現実味が薄くなってしまったのは残念だった。
(2.15.2023)

Studio 54
254 W 54th St.  New York
公演時間:1時間45分(休憩なし)
公演期間:2023年2月9日〜4月30日

舞台セット:8
衣装:7
照明:8
総合:8
Julieta Cervantes, 2023
Julieta Cervantes, 2023
Julieta Cervantes, 2023

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