北国から来た女の子
あらすじ&コメント
舞台は世界大恐慌の真っ只中。1934年のミネソタ州の田舎町、ダルースにある下宿屋だ。ちなみにこの町はディランの出生地でもある。話はそこの町医者のナレーターで始まる。 長い間下宿屋を精を出して一緒に営んできた夫婦だったが、数年前から妻エリザベスは認知症を発症し、今では夫ニックと娘のメリアンが切り盛りしているが、息子ジーンは、このまま田舎で終わるであろう人生に悲観して手伝おうとしない。下宿屋にいるのは、ある嵐の中びしょ濡れで飛び込んできた聖書売りとボクサーだ。また倒産で自分の会社を失った夫婦がいる。彼等には重度の学習障害を患う既に大人の息子エリアスがいる。その他にニックの愛人である未亡人も住んでいる。
娘のメリアンは19年前、玄関前に置き去りにされていた乳児をニック夫婦が娘として育ててきたのだった。その彼女にボクサーが心を惹かれていく。だが彼女はどうやら妊娠しているらしい。
舞台演出家/脚本家として名の知られたアイルランド人コナー・マクファーソンは、ただ1人の人生に焦点を合わして劇的に描くのでなく、全ての登場人物のそれぞれの生き様を淡々と描いていくスタイルは散文詩を読んでいる様でありながら、並行して進むミステリーの要素や、舞台装置・照明によって幻想的な雰囲気で迫ってくる。 役者にはベテランが揃っており、歌も演技も地味なのに引き込まれてしまう。 障害を持ち殺人まで犯してしまうエリアス役を演じるトッド・アーモンド(Todd Almond)は、再度聴きたくなるほど美しいアカペラを唄ってくれた。彼の190cmほどある背丈と広くがっしりとした肩幅が子供のままの知能のエリアスの存在を更に哀れなものしていた。
題名『A Girl from North Country(北の国から来た女の子)』は作品中の1曲の題名だが、やがてボクサーと一緒に南の州に引っ越していくメリアンが、移り住んだ先の町で「カナダ国境に近い街からやってきた娘」となることを暗示しているのかも知れない。あるいは最後のナレーションでわかるのだが、都会に移り住んで有名なライターとなったニックの息子ジーンが、当時うだつの上がらなかった彼を諦めて他の男と結婚していった恋人を思い出して書いた詩なのかも知れないと解釈することもできる。
ディランの歌は、物語とは無関係にストーリーの進展を追うことはなく象徴的に使われており、その時の心象を表現するに留まっている。登場人物が時々レトロな棒マイクの前で歌ったりするが、ディランのような独特な歌い方は誰も真似出来ないのは当然で、劇中では美しく歌われすぎているとの批評もある。ディランのコアなファンであれば物足りなさを覚えるかも知れない。しかし彼の歌が物憂い中にも逞しさを感じさせるところは変わらない。白黒をつけ難い現実の人生において、必ずしも正しいとは言い切れない選択をしたうえで、屈強に生きていこうとする彼らの姿は、暗いストーリーであるのにも拘わらず何故か希望を植え付けてくれる。
ディランの歌い方を思い出しながら、以前ミュージカル『三文オペラ(The Threepenny Opera)』を観た時のことが頭を過った。ヒット曲「タイム・アフター・タイム」で有名なシンディー・ローパーの個性的なソロを聴いて心を打たれたのだが、他の観客が全くピンと来ていなかった様で驚いた。ブロードウェイでは綺麗にうまく絶対音感を外さずに歌うことが要求される場所なのだと、寂しく実感した。いわゆる日本の民謡や演歌の小節(こぶし)、あるいはロックやボサノバなどの微分音で醸し出される味はブロードウェイではお呼びではないのだろう。しかし近年増えているコンサート式ショーで活躍するトーキング・ヘッズのデイビッド・バーンやブルース・スプリングスティーンなど、ブロードウェイの役者とは全く違う発声だ。そもそも彼らを聴きにくる人々は、ブロードウェイの客層とは別で期待しているものが違うのだろう。が、他のブロードウェイの舞台芸術も、そんな「綺麗に歌えば良いと言うもんじゃない」スタイルに影響されて多種多様になっていくと、更に面白くなるだろう。
1/24/2022
Belasco Theater
11 West 44th Street
公演時間:2時30分(休憩1回)
公演期間: コロナ前2020年3月5日に一旦オープンしていたが、コロナ後2021年10月〜2022年1月23日に公演し、春に別のブロードウェイ劇場で再演予定。