きっかけは随分前になるが、ケリー・オハラがまだ24歳だった頃、出演中の『ライト・イン・ザ・ピアッツァ』の創作チームに、ミュージカル化した「酒とバラの日々」に出てみたい、と語ったのが事の始まりだった。それに大賛成した作詞・作曲家のアダム・ゲッテルは、ただちに舞台化の権利購入に動き、同じチームの脚本家クレッグ・ルーカスを誘って活動を開始した。だがそれから幾多の紆余曲折があり、21年越しでようやく昨年、オフ・ブロードウェイ公演にまで漕ぎつける。オフでの評判は上々で今年1月からはブロードウェイで開幕。ケリー・オハラにとっては12作目のブロードウェイ作品となった。曰く「あの頃の自分では人生経験がなくて、今の様には演じられなかったでしょう。(ブロードウェイに来るまで)時間がかかって良かったです。」と語っている。
この作品は、愛し合うアルコール中毒の二人が、ときには支えあい、ときには引き合いながら深く暗い陥穽に転がり、沈んでいく様を描いた大人の物語だ。これだけ聞くとドロドロしていて眼を背けたくなる作品を想像されるかも知れない。しかしそんなことはない。あるときはモーツアルトのセレナードのような曲が流れ、またある時は軽快なジャズ・メロディーが流れるからなのか。おどろおどろしさからは程良い距離感が保たれている。ケリー・オハラの演じるカースティンの夫ジョー役には、トニー賞に4回ノミネートされたブライアン・ダーシー・ジェームズが配されているが、テレビや映画でも活躍しているので、そちらで誠実な演技に親しみを持っている人もおいでだろう。この主演二人の清潔感も、深刻な主題で暗くなるのを防いでいる。
クレッグ・ルーカス(脚本)とアダム・グエトル(作詞・作曲)の過去に、依存症から抜け出した体験があると言う話も、興味深い。
舞台は1950年代、ニューヨーク・シティー。豪華な船上のパーティーでは主催者のジョーの誘いで、カースティンが初めてのカクテルを口にしている。チャーミングで社交的なジョーからの重ねての勧めに、彼女はすでにほろ酔い気分だ。海水に反射した明かりがそんな彼女にあたって青く揺れている。これは舞台装置デザイナーのリジー・クラカンによる工夫で、客席近くのオーケストラ席から見えないところに水を敷いて、その反射を利用している。
カースティンはつまらないしがらみから解放してくれるお酒の力に「走り出したい気分!」と驚きながら、ジョーとの会話にときめく。小さい頃に母親を亡くし、厳格で愛情表現が下手な父親に育てられたカースティンは、流暢な会話と軽快な冗談に包み込まれて、経験がなかった楽しい時間に浸る。一方ジョーは、純真で世慣れしていないカースティンにのぼせ、彼女しか見えなくなる。二人は恋に落ちる。そしてやがて、グラスを片手に幸せな結婚生活が始まったように見えた。
ミュージカルは1時間40分だがスピーディーに進む。自己嫌悪と絶望感、そして深い愛情を持っているのに包まれる荒涼とした孤独感が、セリフと歌と踊りで描かれている。
どんなに愛し合っていても究極では他人である伴侶を変えられない事もあるという現実に、分かっていながら必死に抗う(あらがう)夫婦を描いている。主演の二人は、深い愛情で結びついているからからこそ漂う哀感を見事に演じている。流石だ。
<ストーリー>
子供が生まれても、酒を止められない二人。ジョーは会社をクビになり、食べていくために出張が多い仕事につく。彼が家に帰れなかったある晩、幼い娘を寝かしつけた彼女は、酔い潰れてタバコの不始末から火事を起こしてしまう。
それでも彼らは希望を捨てず、植木栽培を営む父親のところで立ち直りを図る。しかし平和な田舎で過ごしていても酒の誘惑を断つことができなかった。ある日ジョーが、温室の鉢に隠したはずの酒瓶を必死に探している。しかし見つからない。ついには怒りにまかせ植木を片っ端から壊し始める。そして興奮した挙げ句、かつて朝鮮へ従軍した時の状態に戻ってしまった彼は、悲惨な最前線にいると思い込んでパニックを起こす。
病院で正気に戻った彼は、これを機会にアルコール依存症からの回復に努めることになる。リハビリ施設のボランティアのジムのお陰もあり回復も軌道に乗り始める。だがカースティンの方は、いくらジョーが誘っても一緒に施設には行こうとしない。ついにはある日、質素なアパートから彼女は消える。必死で探すジョーだったが、やがて酒のために娼婦にまで身を落としたとの情報に接す。焦ったジョーは、知り合いのジムに娘を預けてカースティンの下へ駆けつけようとする。だがジムは、そんなケースをいくつも見てきた。だから「自分も一緒に行くから娘を近所に預けろ」と説くが、ジョーは一人で出て行ってしまう。
カースティンはモーテルのベッドの上で一人、お酒を飲んでいる。とそこにジョーがやってくる。彼は一緒に帰ろうと誘う。しかしカースティンは聞かない。やがて諦めそうになったジョーにカースティンは、「一人にしないで」と嘆願する。そして寄り添うジョーにグラスを渡す。
次の朝ソファーに横たわったまま起きれないジョーを見つけたジムは、呆れて「一体どうしたんだ」と大声で問いかける。 「僕がいなかったらカースティンは死んでしまうんだ」と答えるジョーだったが、ジムは首を横に振りながら「ちがう。二人で死んでしまうんだよ」と言って出て行く。ソファーから、娘が一人で準備をして小学校に出かけて行く姿をソファーから眺めていたジョーは、「ダメだ、娘を育てなければ・・・」と再度断酒を決断する。
それから何日経ったのだろう。ある晩遅くジョーのアパートの前にカースティンが立っている。ジョーは、驚いて彼女を招き入れる。カースティンの片手には娘のためにと買った本が携えられている。ジョーは、娘と一緒に暮らそうと誘う。だが彼女は悲しそうに言うのだった。「しらふで見える世界は汚すぎて・・・。だから、、止められない」
夜の街へと消えていく彼女に「カースティン!」と呼びかけるジョーの声。その声で起きてきた娘は、母親が訪れていたことを悟って父親を抱き「何とかなるよ」と言う。「そうさ、何とかなる」とジョーも呟き、ドアの向こうを静かに見つめるのだった。
(2/2/2024)
STUDIO 54
254 W. 54TH ST
公演時間:110分(休憩なし)
公演期間:2024年1月15日〜3月31日