How to Dance in Ohioハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ

How to Dance in Ohio
ハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ

ミュージカル ブロードウェイ
How to Dance in Ohio
ハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ
How to Dance in Ohioハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ

2023年12月10日にブロードウェイで開幕したミュージカル『ハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ』は、これまでにない自閉症という題材と向き合い、多くのブロードウェイで初めての取り組みを行ったという点で、注目を集めた。原作は、2015年に公開された同名のドキュメンタリー映画『ハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ』だ。オハイオ州のコロンバス市にある私設の精神カウンセリングセンターを舞台にし、そこに通う自閉スペクトラム症の人々に焦点を当てている。

2019年に亡くなったハロルド・プリンスは、アメリカ演劇界で最高の権威を誇るトニー賞に21回輝き、最多受賞歴を持つ。プロデューサーとしてミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』や『屋根の上のヴァイオリン弾き』などを世に送り出し、演出家としては『キャバレー』や『エビータ』、そして『オペラ座の怪人』といった数々のヒット作を手掛けてきた。生前にそんな巨匠が演出をする予定で計画が進行していたのが、彼の遺作のような要素も兼ね備えたこのミュージカルだ。

最初に同映画のミュージカル化に興味を示したのは、当時はまだ無名だった作詞・作曲家のコンビだった。作曲家ジェイコブ・ヤンドュラは、妹が自閉症だと診断されて間もない2017年に、原作映画に感銘を受けミュージカル化を思いつく。作詞家のレベッカ・グリーア・メローシックに話を持ち掛けると、彼女自身がチック症の一種であるトゥレット症候群であったこともあり、彼女も発達障害の人々に焦点を当てた映画に心を動かされたようだ。こうして作詞・作曲家コンビは、映画を監督したアレクサンドラ・シヴァにミュージカル化の打診をした。
時期を同じくして、ハロルド・プリンスは、次に手掛けるのは自閉症についての作品にしたいとの意向を周囲に話していた。彼が題材として選んでいたのがやはり映画『ハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ』だった。というのも、アレクサンドラ・シヴァはハロルドとは面識がった。元々彼女はハロルド・プリンスの自閉症の孫娘のストーリーに感銘して、映画を制作したのだった。そこでアレクサンドラを通してハロルド、ジェイコブ、レベッカ3者の出会いが実現、2018年から創作活動が開始された。ところが、まだ全楽曲が完成する前の2019年に、ハロルド・プリンスが亡くなってしまう。そのお別れ会でこの作詞・作曲家のスピーチを聴いていた一人が、最終的に演出を手掛けることになるサミー・キャノルドで、彼女も自閉症の弟がいたことから作品に心を惹かれたようだ。こうして体制を新たにしての創作が始まり、筆頭プロデューサーには晩年のハロルド・プリンスにアシスタントとして師事してきたベン・ホルツマンが名乗りを上げた。プロデューサーが保管していた生前のハロルド・プリンスの書き残した創作メモや作品についてのコンセプトを語る録音データも、新たに演出家の手に渡った。2018年に創作が開始され、2021年の秋に最初の読み合わせを行い、2022年の夏にはワークショップを開催、同年の秋にはトライアウト公演を兼ねた初演が実現、それから約1年後にはブロードウェイでの開幕に漕ぎ着けた。足掛け5年でのブロードウェイ到達は、この類のオリジナル・ミュージカルとしてはかなり速いペースだ。新型コロナウイルスによるパンデミックがあったことから、作詞・作曲の作業がかなりテンポよく進行していったのがそのひとつの理由だろう。配役のオーディションもパンデミック中に行われ、演劇界が再開されたらすぐに行動に移せる準備が整っていた。同時に、初めて尽くしのことをしており、それが人々の目にも止まり資金集めを容易にし、多数の若手のプロデューサーが賛同して、早い段階で劇場街での上演に至った。
日本でも上演された『ピローマン』や『夜中に犬に起こった奇妙な出来事』のように、演劇で自閉症が取り上げられる機会はあったが、ここまで自閉症に光をあてた舞台作品は珍しく、とくに自閉スペクトラム症という概念が比較的新しいこともあり、それと向き合う初のミュージカル作品となった。
昨今のアメリカ演劇界では、障害を抱えるなど健常者ではない役柄を、健常者が演じることはタブーとされている。元々他の役柄を演じるのが俳優だとも思うが、こうした流れを受け、同ミュージカルでは実際に自閉症である役者を起用することになった。代役を担う「スウィング」の2名も含めると、合計9名の自閉症の舞台俳優が一斉にブロードウェイ・デビューを果たすというのが、目玉の要素とも言える。

自閉症のある俳優を起用するための特殊な制作やリハーサル体制も、作品の希少度を高める理由となった。自閉症が原因で拒絶反応を示し突如演技が出来なくなる役者がいるかもしれないことも考慮し、彼らが別部屋で落ち着ける様な部屋もリハーサル会場に用意し、集中力を高めるのに使われるフィジェットトイなどのおもちゃも稽古場に準備された。同時に制作チームには、自閉スペクトラム症の俳優をケアする専門家や、作品の自閉症の描写や台詞、そしてメロディーに至るまでの要素が適正なのかを判断するプロが雇用され万全の体勢でのリハーサルが進められた。

開演前には、自閉症の出演者7名がステージ上に登場し観客に話しかける。「もし、ひとりの自閉症の人間に出会っても、ひとりの自閉症の人間に出会ったことにしかならない」という、自閉症の症状は各々で異なると強調しつつ、いくつかの注意事項が説明される。観客参加型の作品ではないため、上演中にはステージ上の出演者に話しかけないよう促す、などだ。

ミュージカルの本編は、精神カウンセリングセンターの代表で臨床心理士のエミリオ・アミーゴ博士が、フォーマルパーティを開催することを発案するところから始まる。博士はセンターの利用者たちが社会的に順応できるよう、アメリカの一般の大学でお馴染みのダンスを楽しむフォーマルイベントを計画する。雪の舞う冬から春に向けて。イベントが行われるまでの100日間が描かれていく。施設に通う7名の中で中心的な役割を果たすのは、名門ミシガン大学に合格したものの進学することを躊躇する青年のドリューとなる。映画でも大きく取り上げられた3名の女性、キャロラインとメリディス、ジェシカ、他にもペットショップに通いながらも職場の環境に馴染めず、自閉症が原因で上司と衝突してしまうメルもいる。さらに、個性的なコスプレをしての映像をオンラインで配信する性アイデンティティに悩むレミーや、車の免許を取得するのに必死なトミーという青年が加わった7名が描かれていく。そして博士が離婚して間もなく、地元紙の女性記者に片思いをするなどのフィクションも交えて物語が進行していく。ダンサーを志望し、ニューヨークでジュリアード音楽院に通う博士の娘も重要な筋の一つとなる。途中ブロガーが施設とエミリオ・アミーゴ博士を取材した事件が勃発する。ブロガーは利用者が自閉症を「患っており」、如何に当人たちやその家族が「終身刑に処されたのと同然」の苦難を強いられているかを悲観的に強調して書いた文章をオンラインで発表する。博士だけが英雄であるかのように称えられたそのブログの屈辱的な内容が、利用者たちにショックをあたえた。それによって彼らはフォーマルパーティへの出席を取り止めてしまう。

ミュージカルナンバーは、昨今のモダン・ミュージカルでお馴染みのポップ調のもの。ミュージカル『ウィキッド』や『ディア・エヴァン・ハンセン』、『ザ・プロム』などを思い出させる。 この作品は発達障害/自閉症についての一般に浸透している悲哀などの固定概念をなくし、誤解を解いていくことが目標に掲げている。興奮するなどしてパニックに陥った観客には、劇場内の2カ所に用意された2種類の落ち着けるスペースが確保されている。劇中では、客席を照らす目くらましの照明は一切なく、ステージ上が極端に明るくライトアップされる場面も、極力少なくなっている。また、パーティ会場の場面では複数のミラーボールの舞台装置が吊るされているが、その光を客席に反射させることはない。売店で販売されるグッズのラインアップも他の作品とは一線を画しる。自閉症を持つ観客が落ち着きを取り戻すためのフィジェットトイといったおもちゃも商品として揃えられている。またパニックになった観客を落ち着かせるための耳栓やアイマスクが入ったパックの貸し出しも行っていた。さらには、明るい照明や光が反射する可能性のある衣装や装置、注意するべき音などを第一幕と第二幕で場面ごとに事細かく記した文書も、文字の白抜きと黒抜きのもの2種類で用意されていた。

劇中では、合計9名のキャラクターの物語が同時に展開していくため、休憩込みの約2時間30分という上演時間となっている。プレビュー公演では、初日の直前まで楽曲のカットや差し替えが行われたようだが、それでも9名全員が完璧に描かれずに終わる印象を受けるのが、同作品の最大の汚点かもしれない。創作チームはミュージカル化にあたって、ドキュメンタリー映画に登場した人々から話を聞く機会を設けた。すると3カ月の長期間にわたって撮影されたにも拘わらず、映画では3名の女性のみに焦点が絞られた編集がされたいた。ドキュメンタリーのビデオでは良くあることだが、当事者たちがそれに不満を抱いてたことを知った創作チームは、その時取材された全員に焦点を当てたストーリーにしたいと思う様になった。

ストーリー編集は作品を視聴者向けに作り上げる大事なプロセスであるが、それをあえて避けたことが今は悔やまれているかしれない。メディアの劇評は、自閉症の誤解を解くことに取り組んだ試みは評価しているものの、多くが原作映画には劣り、特徴に欠いたぎこちない作品だと批判した。高く評価した媒体もあったが、決してヒットに結びつくものではなかった。ブロードウェイは芸術とエンタテイメントを売り物にしている厳しい競争世界。情報や理屈だけではない感動が求められている。それが無ければ、テーマや志が正しくても、高価な切符を買う側の消費者を惹きつけることは出来ない。勿論、初日の2日前には、2023年末までの合計5万枚のチケットを、公演当日に劇場のチケットボックスで破格の50ドルで販売する「$50 to 50K」と名付けたキャンペーンも開始した。しかし通常の安価な当日のラッシュチケットを、これまでとは違う切り口で販売しているに過ぎず、反応は冷ややかなものだった。
この冬は、ラジオシティ・ミュージックホールの名物『ラジオシティ・クリスマス・スペクタキュラー』でも、大きな音や刺激的な照明を排除したセンサリーフレンドリーな特別公演を行う日を設けるようになり、自閉症のある観客に理解を示す動きが広まっているらしい。2023年のブロードウェイで最後に開幕することとなったこの新作ミュージカルである『ハウ・トゥ・ダンス・イン・オハイオ』が、今後どこまで巻き返し、公演を続けられるだろうか。(12/14/23)

Belasco Theater
111 W. 44th Street., New York
公演時間:2時30分(15分休憩1回)
公演期間:2023年12月10日~

舞台セット:6
作詞作曲:6
振り付け:6
衣装:7
照明:8
キャスティング:8
総合:7
©Curtis Brown
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