MJ:ザ・ミュージカル
あらすじ&コメント
ストーリーは、ツアーに向けてのダンスリハーサルから始まる。そしてマイケル・ジャクソンの1992年までの人生を振り返りながら展開していく。
幼い少年なのに誰が見ても明らかな天才的才能。元ボクサーの父親からの虐待にも似た厳しい訓練。親や兄弟で結成した「ジャクソン・ファイブ」での活動。そこから独立して自分だけの音楽世界を作りたいと願いながらも続ける兄弟との合同ツアー。やがてクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて完全な独立が実現する。舞台はそんな時代に行きつ戻りつ、キングに成長するマイケル・ジャクソンがそこにいる。大詰めではマイケルが、勢いよく舞台中央で宙に飛びでる。ご存じ、1992年のデンジャラス・ワールド・ツアーでの有名なオープニングであるが、そこで幕は引かれる。
そのデンジャラス・ワールド・ツアーが、その前のバッド・ツアーに勝る収益をあげたことは、コアなファンなら知っているだろう。しかし事前には「バッド・ツアーには及ぶまい」と周りから言われていた。そんな中で一つひとつの楽曲の編集やダンスの動きについて、異常なほど細部にまでマイケルは執着する。今まで誰も観たことのないツアーにしようと完璧を求め、直前まで演出を変え続ける。しかしその結果、経費は巨額に膨れ上がった。だがそれでも収益は、慈善団体に献金すると頑固に言い張って計理士を泣かせる。
マイケル役は子供、青年、大人の各時代を3人の俳優が演じている。最初はどれほどマイケルに似ているのかなどと、ルックスに目がいってしまった。しかしすぐに作品のしっかりとしたストーリーに引き込まれ、そんなことはどうでも良くなる。大人のマイケルを演じたマイルズ・フロストは、声音、話し声の抑揚、身振りなどそっくりで、ダンスも特訓を受けたとのこと。ロックダウン前のリハーサルをしていた頃の主役は彼ではなかったが、スケジュール等の関係で起用されることとなった。彼はオープニング直後に足を捻挫して少し休んでいたが、今は無事舞台に戻ってきた。演出はピューリッツァー賞を2回受賞したリン・ノッテージ。時代の変遷や、ヒット曲への移り変わりも自然で滑らかだ。
「スリラー」のシーンでは、父親役がその後マイケルを襲うゾンビのリーダー役になるなど、 父の存在がマイケルの心に大きな傷を残したことが仄めかされている。他の子供達と遊べないような厳しい音楽・ダンス学習を経て大人になったマイケルが、父に愛されていない、という気持ちから逃れられずにいる様子も描かれていて、天才アーティストと言う存在の裏にある、人間としての寂しさや苦悩が垣間見える。経済的感覚ゼロのマイケルの一面も描かれているのも面白い。ちなみに「スムーズ・クリミナル」とか「スリラー」などの踊りは、ミュージックビデオとは違う振り付けになっている。その権利が買えなかったのか、あるいは意図的に買わなかったのか分からないが、あの天才的な振り付けを生で見たかったコアなファンには、残念なところだろう。
オープニングで主役のマイルズ・フロストは、ただレッドカーペットの上を歩いただけで記者たちの質問には答えなかった。おそらくマイケルの児童性的虐待疑惑について質問があると、時間をかけて答えるのは難しいとの判断があったのだろう。作品中にはMTVのディレクター達が、痛み止めの過剰摂取を暴露しようとする場面がある一方、子供達と親密に交流する場面などは一斎ない。それは如何なものか、と言う劇評もあった。またレッドカーペットでも、プロデューサーにその事を執拗に問いかける記者がいた。しかし今となっては本当のところは、誰にも分からない。FBIも証拠は見つからなかった、と公表している。したがってこれには触れずに済ませたプロデューサーの選択は、不思議ではないし当然だろう。プロデューサーが客層として焦点を当てているのはマイケルのファンだ。報道記者ではない。「ビリー・ジーン」「バッド」「ロック・ウィズ・ユー」など彼のヒット曲を中心に39曲が綴られたこのミュージカル。ヒット曲の前奏を聴くだけで観客は大いに湧き上がり、 オープニングからすでに2ヶ月以上経つにも拘わらず、終幕時の盛り上がりと熱いスタンディングオベーションが続いている。プロデューサーは単なる投資家ではない。彼らもマイケルの音楽に惹かれ、心を動かされたことは間違いなく、その思いは素直に観客に伝わっていた。
04/06/2022
Neil Simon Theatre
250 W. 52nd St.
公演時間:2時間30分(休憩1回)